| 2004年 6月 20日(日) |
哀感
拝啓 僕の日記をご覧になっている皆様
はじめまして。今日から日記担当になりましたスピーチセミナー二年の浅見周司と申します。一年生の方も読んでいらっしゃるかと思うので、まずは自己紹介を兼ねて僕のこれまでのESSライフを書きたいと思います。
ESSに入って、今日までの一年間、日陰に咲くたんぽぽのように細々と活動を続けてきました。そして今は新歓を通り過ぎた風と共に、白い綿となって遠くへ、精神的に遠くへ、ゆらゆらと飛んで漂っているような日々です。文字通り、「風と共に去りぬ」、な状態にあるわけですが、果てしなく飛んでいく糸の切れた凧のようには決してならないのでご心配なく!やる気の見えない自己紹介はほどほどにして・・・
この頃、大学二年目を迎えて少し視野が広がったせいでしょうか、たくさんの哀愁を目にするようになりました。例えば、第二言語で知り合った再再再々履修という卒業へ崖っぷちの、ある意味素敵な反面教師の四年生。あのどことも知れぬ遠くを見る眼差しの中にある哀感。今、気を抜くと、近い将来あの哀感の当事者になってしまうのかと想像するだけでも空恐ろしくて仕方ありません。悲劇的な夢を見ているときのような冷や汗が出てくるようです。やはり現実は悲劇といつも隣り合わせなのでしょうか。
哀感はさておき、僕は思考の特殊性を日々大切にするように心がけています。そのため、誰もが通り過ぎるであろう場面で立ち止まってしまったり、考え込んだりしてしまいます。
この前もこんなことがありました。
英検の試験監督バイトをさせてもらったんです。その日はちょうど、三年生の谷さんが一緒の教室の担当でした。試験監督バイトというのは始まりの合図をしてしまえば、あとは見回りという大義も元、空白の時間(退屈な時間)が始まります。一方、受験者は合否を賭けて必死に問題を解き続けるわけです。僕はこんな構図の中に社会の縮図を見た気がしたのです。つまり社会には働く人間と、それを監視する人間がいて、いつも監視する人間がより大きな利益を享受できるシステムが社会には出来上がっている。頑張っている受験者を目の前にして、仮に適当な監視をしていたとしても僕らは日給を受け取れるのだから、こういうシステムを悪用すると恐いなって思ってしまったわけです。ただし監視する人間はいつも責任を背負わなければいけないのでそれなりの覚悟は必要かも知れないですが。
もちろん、僕は(おそらく谷さんも)いかなる不正も許さない毅然たる態度で公正なる試験を実施するための使命感に満ち満ちていたことはいうまでもないでしょうけども・・・
そういえば歴代の大富豪は必ずと言っていいほど何かを最初に始めて、特有のシステムを作り上げてしまった人だというのも納得できます。ビル・ゲイツは現代の成功者としてよく引き合いに出されますが。なんか論説文みたいな堅苦しい文章になってしまっていますね。ほんとは僕の柔和な人間性を感じさせる内容にしようと思ったのに・・・まぁ話に脱線は付き物ですね!
まぁ英検バイトにはまだまだ続きがあるのですがそれは明日以降にとっておきましょう。
一旦、コマーシャルみたいなのりですが。
お読み頂きありがとうございます。ではまた明日。
浅見周司 2004、6,20 記
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