2004年 6月 21日(月)

◆◇◆◇◇◆割り切れなさが大切◆◇◇◆◇◆◆◇◇

突然ですが、最近、夢(睡眠中に見る夢)を見ていますか?(別の意味で夢を見すぎている方々も若干いるかとは思いますが・・・)
話を元に戻しまして、質問に対しての一般的な答えとしては、

『最近、夢をあまり見なくなった』や『悪い夢しか見なくなった』

という人が大多数なのではないでしょうか。僕自身も最近、幼い頃よく見ていたあの意外性や矛盾に溢れているのに不思議とリアリティのある楽しい夢を見なくなってしまいました。

詩的に表現するなら、今の自分の心の中にあるキャンバスには形のある日常にありふれた写実主義のような絵しか描かれていないのです。子供の頃に描いてあった『へんてこでちぐはぐな理解不能のシュールな絵』は、今、塗りつぶされようとしている、もしくは完全に追い出されてしまった気がするのです。心の中の心象風景はこうも味気なくおもしろみのない絵になってしまったのでしょうか。それもこれも大人になるにつれて現実という重い鎧を纏うことを疑問もなく受け入れてしまってきたということなのでしょうか。それはそれで仕方の無いことだと冷たく考えてしまうこともできますが、

しか〜し、

現実は言葉で説明できるものだけで成り立っているほど単純ではないはずなんです。言葉が出なくなった劇的な体験を一度や二度はしたことがありませんか?もしかしたら結構あるのではないでしょうか?
僕は、カリブ海に広がるエメラルドのグラデーションを目の前にした時、あまりの美しさに心を奪われて、「自分を含む全て」を忘れてしまったことを思い出します。つい昨年の夏の出来事。まさに夢の中のような体験でした。

現実的になりすぎて、生き生きした感情を、夢見る心を忘れてしまっては、少し寂しい気がします。最近は論理的思考がもてはやされていますが、夢の中のような解釈不能なことも楽しめないと人生の楽しさが減ってしまう気がするのです。ですから、僕は割り切れないことも人生をおいしくする調味料と考えることにしました。これでいままで僕が体験してきた人生の割り切れなさをポジティブに考えられそうです・・・

今、ふとわれに返ると、今日の内容は、普段のスピーチセミナー内での
「浅見ワールド=理解不可能」
的な噂を自ら認め、釘をさす結果になってしまいましたね。
こんなことを書いているうちに自分自身が分からなくなってきてしまいました。至って健康なのに自分自身が分からない、そんな人類は今まで存在しなかったはず。まさに新人類。
言ったはいいが、そんな人類に未来はきっとないでしょう・・・

さてさて、最近、大学の図書館でおもしろい本を借りたので暇な時間に読んでいます。
タイトルが「虹の解体」っていう欧米の生物学者の科学本なんですけどね、何がおもしろいって、翻訳してある日本語表現の豊かさなんです。内容もさる事ながら、日本語にはこんな言い回しもあるのかとかニュアンスの絶妙さに退屈を感じさせません。谷さんが、言葉の魔力に呪われてしまう、あっ・・・、魅せられてしまう理由もわかりますね。僕も経済学部の専門科目よりも、その授業中に本を読んで過ごす方が今は楽しいので、にわか文学部になることにします。

では、今日はこの辺で。また明日! 
お読み頂きありがとうございました。
                        2004、6、21 記  浅見周司




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