| 2005年 2月 19日(土) |
魂の予祝行事
毎日、毎日、祈りの日々は続いております。以前、1月に沖縄へ旅した時、今帰仁城に行きました。
日本で桜の開花が一番早いといわれている所です。私が訪れた時は誰もいなくて本当に心静かな時間が
過ごせました。こんなに寒い日でございましたので、ふと、あの桜を思い出しました・・・。
各地の神社で行われている行事の中で五穀豊穣の祭りを演じ、そのとおりになる様、神に祈る、ようするに
期待する未来を予め演じる予祝行事という神事があるそうです。私もどんな未来でも魂の道を間違えず
歩き続ける事が出来る様、今、この瞬間、今をいつも至福ですごせる様、歩いて行こうと思います。
そして、少し神社巡りの事を・・・。
昨年、5月、九州のひむか神話街道を車で旅しました。木花咲耶姫様の生まれ育った宮崎県の西都市に以前から
行きたいと考えていたので実現しました。宮崎市に着いたのは夜でしたが、宮崎神宮に参拝しました。
御祭神は神武天皇です。懐かしい、懐かしい大切な人との再会のような気持ちで、ゆっくり誰もいない
、落ち着いた夜の参拝ができました。奈良の橿原神宮も私はもう、身内のようにあたたかい歓迎をいつも
受ける感覚がありますが、もっと強くここでは感じました。
ひかり先生が御縁の深い土地は良い縁でも先にカルマが出て来ると言われますが、その通りで、頭痛なんて
あまり経験の無い私が、もう、もう、きりきりとたまらないのです。宮崎の駅に着いてすぐ、その痛みは
やってきました。ああ、こんな痛みは生まれて初めてだぁ、と思いました。
しかし、私もこりません。それから、木花という地区の木花神社に参拝しました。道に迷い、迷い、たどり着きました。
もちろん、木花咲耶姫です。木花台という住宅地の高台にありました。頭痛がひどくて、泣きたい気持ちでした。
でも、心はもう歓喜でうれしくて、うれしくて、参拝に来る事が出来た事を私は喜び、御祭神の木花咲耶姫様の方は、
やっと、来てくれたという暖かい歓迎をしてくださいました。しばらく、魂の会話は続きました。
木花咲耶姫様は少女の雰囲気と多くの人はいいますが、私の中ではいつも、いつも私と同年代です。
そして、夜遅く西都市に向かいました。長い、長い一日でした。
長く、なりそうなので、また、続きは書くことにいたします。
今日はとても体がつらく起き上がるのも苦痛でした。合戦の供養が激戦地内の神社で3日めのところや行き始めのお寺
のものが、いまピークなのです。なんともいえないこの合戦の供養特有のつらさがおそいます。
しかし、この、根っからの合戦の供養好きの私です。供養に出掛けました。
ひかり先生が、もう、合戦の供養はこの世の極上の歓びがある、と以前おっしゃいましたが、そうなのです・・。
和解のあの歓びを経験してしまうと、もう和解までのつらさがものすごくても、耐えられるのです。
供養の相手の幸せに歩き出す姿を見るのは、もう、言葉にはなりません。私自信の歓びなのです。
どんな出会いでも、全てが良縁と言いますが、私は、この世での出会い、全てに、私の魂の成長をさせて下さる
事を感謝いたします。
まだ、今日の神社、お寺は続きます。
ひかり先生の
「相手と和解するまでやめないのが私ですから、最初から供養は成功したようなものなのです。」
という言葉をいつも、思いだして・・・。
そう、そう・・。
水晶琴をご存知ですか?中国奥地で発掘され、削りだされた水晶から作られた世界でたったひとつだけ
の楽器「水晶琴」・・・。私は、合戦の供養で出掛ける時、車の中でいつもこの音の曲と琵琶、古筝を
聴いています。
聴きながら、次はどこの神社に行こうかな、と考えている時・・・・、
至福の歓びを感じるのです。
感謝致します。
木の花姫