| 2003年 7月 21日(月) |
「しっかりとした人生を生きている。」
(勝手にお借りしました。事後報告でごめんなさい。)
今年のコンサのレポ。拓哉くんが、きゃわゆーーーーい。綺麗。もうーーーーーうっ。と言う言葉で一杯だ。
昨年の天使のたっくんも、すんごく綺麗で感動したものだけれど、最近の拓哉くんは、何か吹っ切れたような、また一段と高みに登ったような表情を見せてくれる。
いまだに悪ガキのように目の離せない所も持っているが、以前の若さゆえの幼いかわいさとはちょっと違うかわいらしさ、美しさ、色っぽさの上に、人間としての優しさ、強さが加わって言っている感じがする。
この10年以上、何をするにもどこへ行くにも誰かに追っかけられる目があり、一言言うごとに何かしらのリアクション(揚げ足取りだったり、話題作りのように曲解して取り上げあれたり)が跳ね返ってくる。記事には、関わりないようなことにまで、キム○クの字が付く。そんな中でも、自分のおかれている位置を否定することなく、周りを見つめ足を地面につけて歩んできた、喜び、泣き、笑い、感動し、傷つき、立ち上がり、しっかり生きてきた証しだと思う。
いつも完璧だった訳じゃない。でも、ちゃんと自分を見つめることができる。これだけ長い間騒がれていても、自分を持って、自分の言葉で話し、自分で選んで(彼の言葉で言うとチョイスして、エンジョイして)生きている。
ずっと以前読んだ物の中ステージって事で、マイケル・ジャクソンが、「自宅にもどこにも落ち着けるところはない。安らげるところは、ステージの上だけ。できたらステージで眠りたい」と、言った言葉を読んだことがあるのを思い出した。スーパースターと言われているのになんて、寂しい言葉なのだろうと思った覚えがある。実人生をよく知るわけではないが、映像として入ってくるものは、幸せとは見えない。この10年でマイケルが、ステージの上では感動を与えたとは思うが、痛々しい感じがする。
こんな話を持ってきてどちらにも失礼だったかとは思うが、「ステージ」という言葉で思いついたので書いてみた。拓哉くんにはステージの他にも自分の場所がある。育った家庭であり、一緒に過ごした人達であり、物作りの仲間であり、家族である。いとおしいと思える存在がある。傷ついたことも多く、無くした物も多いとは思う 。それでも全力でぶつかり、「しっかりとした人生を生きている」その彼を、今リアルタイムで見ることができる、同じ時代にいることを幸せに思うのだ。
今年は、福岡でも名古屋でも拓哉くんの団扇が多いんだそうな。それは、GL効果といえるのかも知れないが、みんながGLを通して感じた人間木村拓哉への共感であり、応援であり、愛だと思う。
なあんて硬い書き方をしてしまったが、結局。見ていたいのよ。感じていたいのよ。
「しっかりとした人生を生きている。」(道場のコンサレポの感想から)