| 2002年 5月 1日(水) |
みけ君 検査入院の思い出
この前 病院の待合室で ぼんやりしていたら 入院患者さんの食事時間が書いてありました。
「夕食 18時かぁ。ずいぶん改善されたなぁ。アタシが結婚前 肺炎で入院した時は
夕食16時だったものねぇ。しかし そう言えば みけ君が検査入院した時は 何時だったっけ。」
そうして 自分の名前を呼ばれるまで みけ君の検査入院のことをあれこれ思い出していました。
みけ君が 検査入院したのは 保育園の年長さん。6歳の時でした。
あまりにたびたび自家中毒を起こすので 入院して検査することを薦められたのですが
その時「脳の検査もしましょう」と言われたのです。
「脳」!! 当時の私には「脳」は禁句でした。
とら君が 2歳の時「この子は 脳に傷があるから一生しゃべれないし 将来は精神病院」と言われたことから まだ脱却できていなかったのです。
ちなみのとら君にそういったのは お医者さんではなく 障がい児の施設の人ですけどね。
「私は この道○十年。そういう子は 一目見れば わかります」だってさ。
今の私は「脳」も全然平気で 「自閉症とは 脳の器質的な障がいらしいですよ」なんて
人に説明するくらいですから。
でも 当時は「脳」で パニック起こした私は一旦検査をお断りしました。
だけど その後しみじみと考えました。
「もし 脳に傷が見つかったとしても みけ君はみけ君 なにもかわるわけじゃない。
たとえ 傷があったとしても みけ君はみけ君なりに成長してきた。これからも 成長するだろう。だったら 脳に傷が見つかってもいいじゃない。
それに もしかして 本当にもしかして なおせる原因が見つかるかもしれないし」
私は みけ君に検査を受けさせることにしました。
検査入院は 3週間。
ところが 困った問題が おきました。
その病院は完全介護なのですが 小児科の場合は子供の心の安定のために 一日中母親が付き添いをすると言うことです。
そういう決まりと言うことで 承諾したのですが 困った問題が次々出てきました。
まず 付き添いのベットはないから みけ君と同じベットに私も寝るのですが 6歳と言えば
もうかなり大きいですから お互い安眠できません。
食事も 付き添いの食事は当然ありません。
それは 同じ病室のおかあさん同士で 誰かが代表して 売店でパンやお弁当買ってきたりしてしのぎましたが みけ君自身は その頃超偏食ですから 病院の食事をほとんど食べてくれませんでした。
相談しても みけ君のためだけにみけ君の食べられるものだけ作るわけには行かないとのこと。
そりゃそうだわね。仕方ないので お医者さんが何もいわないのをいいことに ふりかけとか
パンとか食べさせていました。
検査入院だから 本当はいけなかったのでしょうけど 餓死させるわけには行きませんもの。
お風呂はね みけ君は体をふいてもらえるけど 当然私のお風呂はなし。
これは みけ君の多動がほとんどおさまっているのを幸い 同室のおかあさんや看護婦さんに
みけ君を頼んで 私は数時間だけ帰宅させてもらって シャワーを使いました。
でも 帰宅したのは シャワーだけのためじゃないのです。
一番 困った問題。それは とら君のことでした。
とら君は 当時小学2年生。
幸い おとうちゃんの職場がものすごく近くだったので 朝はとら君が登校してからおとうちゃんは出勤でした。
でも 帰りはとら君の帰宅時間に仕事を抜けれないこと。
当時 とら君もかなり偏食だったこと。などから とら君の帰宅する時間に合わせて 私も
帰宅して おやつを食べさせたり 夕ご飯のしたくをしたりしていました。
と まぁ 以上のような伏線があったとお思いくださいませ。
「大名行列」ってご存知ですか。
大病院で エライお医者さんが部下の医者や医学生なんかを引き連れて 検診に回ってくるのです。みけ君のときも この「大名行列」が何度かありました。
これの時は 看護婦さんもぴりぴりしてベットの周りの「見苦しいもの」は片付けるようにと付き添いに言うくらいでした。
何回目の「大名行列」の時だったか 小児科の一番偉いお医者さんが私のことを叱責したのです。なんと言ったのか この執念深い私が覚えていないのだから 今から思えばそうひどいことを言ったというわけじゃなかったと思います。
たぶん 最初検査を断ったことを「親のくせに覚悟が足りん」と言ったようなことだったと思うのですが…。
ただ 上に書いたような伏線があったのですよ。それに 検査結果に対する不安でハチキレそうだった私は ぶちきれました。
「あなた この小児科で一番エライ先生なんでしょう。だったら うちの子 なおしてくださいよ。なおせるんですか。なおせないなら 私にえらそういわないでっ」
はい 病室中 全員フリーズでした。
私も すぐ後悔しました。言った内容ではありません。
みけ君が 人質にとられてるのにということと 私にいつも優しくしてくださる担当のお医者さんが このことでそのエライ先生に怒られるのではないかということです。
言った内容は いまでもことあれば お医者さんにぶっっけたいですけど 幸か不幸か私を
怒らせる勇気あるドクターがいないもので。
「なおせるものならなおしてほしい」それは 今でも かわらぬ思いです。
そうすると「どうしてそうまでして なおしたいの。健常児の親になって楽したいの」と言われるかもしれませんが 私は 健常児の親になれば自分がハッピィだとも楽できるとも思っていません。逆に 今の障がい児二人の状況が不幸とも思っていないし 大変だけど天職かななんて思っています。
ただ 本人たちが 大変なんじゃないかと。
ある人の「障がいを持った人を不幸というのは 障がいを持った人に失礼だ」と言う言葉に共感したので 私は子供たちを不幸だと思ったりすることはやめました。
でも 生きにくいだろうなぁとは思います。
この社会は 目の不自由な人向き 車椅子の人向きじゃないように 自閉症向きでもありません。
目からの情報が入りやすい自閉症の人のために イラスト入りの看板が随所にはってあるとか
う〜んと アタマ悪いから 他に適当な例が思いつかないけど そういう社会になれば
もちろん健常の人が 障がいを持った人を 理解し温かく接してくれる社会になれば
「うちの子達は 自閉症と言うハンディを持っていますが 不幸ではありませんし 生きることに不自由もしていません」と言えるのでしょうが。
健常児も障がい児も 生きるために多くのハードルを飛び越えなきゃいけない。
でも 健常児に比べて障がい児のハードルは数が多く高いような気がするのは 私のヒガミでしょうか。
その想いが あるうちは「なおせるものなら なおしてほしい」と思うのです。
と こんな思いしてまでの みけ君の検査結果ですが……
「現代の医学で発見できる限りにおいて どんな異常も認められない」でした。
はぁっ? なんじゃ そりゃあ?
異常がなくて 言葉もしゃべれず読み書きもできず(これは小学校に入って 少しできるようになりました)多動で(当時はおさまっていたけど)自家中毒を繰り返す(結局 小6まで続きました)ですかぁ?
保険のために もらった診断書には 既往症の欄に「自閉症」と書かれていました。
(これも その後かかったお医者さんによって ころころかわるんですけどね)
はぁ むなしい〜
そう言えば 以前ネットのお知り合いのお子さんが入院されると聞いたけど もう退院されたでしょうか。
あっ 雨があがりました。
今朝 みけ君は例によってすぶ濡れで 学校行ったけど 帰りはだいじょうぶだね。
と 強引な締めくくりで 今日は終わりです。
今日も 長い日記に最後までお付き合いくださいまして ありがとうございました。