| 2003年 11月 13日(木) |
かけら
「眼鏡越しの空」
大キライだった眼鏡はずせない この何日も
気を隠すにも゛ちゃんと見る゛にも 都合がいい
あなたの夢を見た朝 何故か 少し泣けた
さえない私を思ったら 少し泣けた
短い髪 シャンとした後ろ姿 思い出す度
あなたのようになれたらと 憧れる
図書館で借りた 空の写真集
カードに つよくてきれいな あなたの名前がある
大キライなのは眼鏡じゃなく こんな自分
ガラスの奥で叫んでいても 誰も気づかない
防御壁の役ばかりでごめん やってみるね
私をきちんと見せてくれる レンズに変える
短い髪 シャンとした後ろ姿 思い出す度
あなたのようになれたらと 憧れる
机に置かれたままの写真集 背表紙の三日月だけが
そんな私 知ってる
あなたのようになれたらと 憧れる
その想いが ちからをくれる
あなたのようになれたらと 憧れる
その想いが ちからをくれる
Dreams Come True
大好きな、この歌の歌詞を、仲良しのみなこちゃんが、
HPの日記に書いた時に、
この歌には、私もちょっとした思いがあるので、
そのうちに、日記に書くねといって、
そのままになってしまったいた。
なんだか、今日は、いろんなことを思ったので、
そのことについて書いてみようとおもいます。
だから、ちょっと長めの本当に、
自分の思いだけを書き連ねることになるので、
読みたくなければ飛ばしてくださいね。
私は、自他共に認める、活字中毒なんですね。
ありとあらゆるものを読みます。
だから、最近では、あまり読まなくなったものの、
漫画ももちろん読むのです。
もう、今では活動を中止してしまって、
作品を入手するのも困難になってしまった、
「内田善美」さんという漫画家がいました。
独特の、繊細なタッチの絵とそれから、
ちょっと、少女マンガのジャンルとは、
かけ離れた感じのする、
そんな話の内容が大好きでした。
その人の作品の中に、
「空のいろににている」という本があるのです。
主人公の、天川蒼生人(てかわたみと)は陸上をやってる15歳、
数々の疑問符を抱え、それは日々蓄積されていきます。
その日も図書係の少女に意味ありな笑みをこぼされます。
ある日、自分が借りる本の読書カードには、
いつも同じ名前が先に書かれているのを発見し、
あの日の、少女の笑みにはっとするのです。
少女の名前は、「野々宮浅葱(あさぎ)」
そして孤高の青年・鷺巣冬城(さぎすふゆき)
この三人の奇妙な魂の交流を描いた
深く静かで、瑞々しく、心に沁みてくる作品。
主人公の蒼生人は大事にしていたネコの死に、
甲子園を目指していた同級生の試合に、
空の色に対して独白します。
彼は走りながら、あるいは止まっていろいろなことを考え続けます。
そうして、その傍らには、いつも、浅葱がいる。
そうして、浅葱の視線の向こうには、冬城がいて・・・
三人が過ごす夏休み。
当たり前のように、冬城がいて、浅葱がいて、蒼生人がいる。
そんな毎日が過ぎていきます。
ある日、蒼生人のお兄さんが、話はじめます。
お兄さんと、冬城は同級生だったのですね。
そこで語られる、冬城と浅葱の出会い。
そうして、お兄さんは、こう語りかける。
「お前、野々宮浅葱を知ってるだろう?
そうだろうな。そんなことだと思った。
お前とあの子似過ぎているよ。
出会ってしまえば、惹かれるしかないか・・・・」
そうして、蒼生人もまた気づいてしまう。
「僕はこんなにも
彼女のすべてを慈しめるほど
彼女をみつめつづけていたのだ」
それでも、静かに穏やかに、
冬城に見守られながら、二人は、時をおくり、
そうして、自然に三人の空間が出来上がっていくのです。
でも、すばらしい才能をもって、絵を描いていた、
そんな冬城は事故から、視力を失っていき、
そうして、自らの死を選んでしまう。
二人に残されたのは、一枚の絵だった。
その絵を見ながら、
浅葱が語るのが、「かけら」の話。
これは私が読書日記に書いた、シルヴァスタインの
「ぼくを探しに」がモチーフになっています。
そして、そのことこそが、この物語の、核となっているのですね。
「私にとって、あの人こそがかけらだったわ。
私たちは融合し、完全な円を形づくることができたのよ。
時間も、夢さえも越えられる、無限の小宇宙。
私も、彼も有頂天で、宇宙さえもつかみ取れそうな
気がしたわ。
ねぇ、そんな存在があるなんて、考えたことある?」
それから、しばらくして、あとを追うように
冬城が消えた山へ、浅葱は行くのだけど、
命は助かり、病院へ駆けつけた蒼生人に、
今度はこう語りかける。
「あの人が消えていった雪
私も消えられるかもしれない。
私も消えて、どこか秘められた場所に行けるかもしれない。
ああ、この雪があの人のところに
導いてくれるかもしれない。
もうちょっと、何も考えないでいたら、
私、あの雪のなかで、消えられたのよ。
その時ね、
”カクン”ってつまづく音が聞こえたの。
そう、なつかしい音よ。
私、あわてて目をこらしたわ。
ねえ、あんまりじゃない。
そう、あの円よ。それもふたつ。
おっきさも同じ。
かけた部分もまるきり同じ。
だから、かけた部分が同じに、つっかかるけど
それは、楽しそうに転げまわるのよ。
中略
あの絵はなんだろう?
なぜ、あの絵を残さなければならなかったのだろう。
君を描いてそれを残していったのはなぜ?」
「え、俺はあの絵、浅葱さんだって・・・・」
「そう、そうなの。私たちはあんなにきれいに重なりあえる。
私、消え行く瞬間にたったひとつわかったの。
私がきえたら、あの、もうひとつのかけた円は、
どんなに悲しむだろう。
私たちは、別れを予感するような、出会いをしなかった」
僕らにみえるもの、みえないもの
そうしたあらゆるものを
同じように慈しみ
同じように思いをよせていった。
僕らはこうして歩いていける。
その身のうちに、冬城さんをもちつづける
この人の傍らを、ぼくはこうして歩いていける。
この本を読んだのは、10代の終わりだったけれど、
読み終えたとき、涙が止まらなかったことを、
今でもよく、覚えてる。
そうして、思った。
わたしも、こんな風に、魂の近い、
そんな人に巡り会うことができるだろうか?
巡り会いたいってね。
数年後、ドリカムの歌詞のなかに、
この物語と重なる部分をみつけて、
それから、この物語と、その歌は、
私のなかで、ひとつになってしまった。
さて、私は、巡り会うことができたのかな。
いつだったか、心友さんが、
「話をしてると落ち着くんだよねって。」
そう、書いた私のメールの返事に、こう書いてくれた。
「やっぱさすが似た者同士だけあって波長があうね。
英語で言えばシンパシーって感じかな。
日本語には確かに美しい言葉が多いけど、
シンパシーって言葉もなんかよく聞こえるんだよね。」
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