2003年 8月 29日(金)

ごろの思い出

今日も一日、ぐずついた天気になった。
気温はそうでもないけれど、蒸し蒸しとして、
なんだか、頭痛もすっきり治らないなぁ〜〜(>_<)

仲良しの、ゆなのHP「いちごの気持ち」の、
日記のコーナーに書かれていた、ゆなの愛犬「純」のことを読んで、
私も、思い出を書いてみようと思ったのです。
少し長くなっちゃったけど、良かったら、読んでみてね。

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その芝犬の子が、我が家にやってきたのは、19年前の秋の初めの頃だった。
両手で抱えてもあまるほどの大きさで、母親から引き離された上に、
何時間も車に揺られてやってきたものだから、
ぐったり、しょんぼりって感じで、蹲ってじっとしている。
まるで、小さな茶色い毛糸玉。
夜になって、キューンキューンと鳴きはじめた。

その声があまりにも、悲しく、淋しく、
結局私のベッドに一緒に寝かせてやっと、眠りについた子犬を、
私は、踏み潰さないようにと思い、その夜眠れなかった。

男の子だったので、名前は「ごろ」になった。命名者は私。
なんだか、その名前がぴったりって、その時感じたのよね。

それから、毎日、彼を朝夕の散歩に連れて行くのが私の日課になった。
少しづつ秋が深まっていく、川沿いの道を歩く。
ゆっくりと道草ばっかりの彼に合わせて歩くこともあれば、
かけっこしたり。時々遠回りをして、
いつもと違う道を通ると、興味深々。
臆病者のくせに好奇心は旺盛という、飼い主そっくりの性格だった。

父が欲しくてもらってきた犬だったにもかかわらず、
結局ごろは、最初の事もあり、そのまま、もう、
こんなに大きくなるまでーというくらい、
私のベッドで、一緒に眠って、家の中を走り回っていた。

その頃の私は、精神的にも、肉体的にもボロボロで、
でも、家族には、心配をかけたくない、悟られたくないという思いから、
明るく振舞ってはいたけれど、父は父なりに何かを感じて、
彼を貰い受けてきたのかもしれないと、今になって思う。
苦しいことは、続いてはいたけれど、「ごろ」がいてくれたおかげで、
気持ちは、随分晴れるようになり、なにより、散歩をしながら、
彼に話しかけて、自分の気持ちを少しづつ整理しているようなところもあり、
そんな毎日が、私を、前向きにさせて行ったように感じる。
「ごろ」がこなかったら?
もしかしたら、あのまま、立ち直れずにいたかもしれないと思うのだ。

さすがに、あまりにも大きくなり、季節の変わり目は、毛も抜けるし、
それに、番犬にもならないということで、
とうとう「ごろ」は、外にちゃんと作ってあった、
自分の犬小屋で生活をすることになった。
そして、それは、もちろん、わたしの部屋の前だったのだけど。

それから、2年後の冬、私は結婚して、実家を離れることになった。
もちろん、「ごろ」も一緒だった。犬小屋も引越しをした。
歩けば一時間ちょっとの道を、週末になると荷物をかかえ、
ごろを引っ張って、お散歩代わりに里帰りをした。
そんな姿をみて、近所の人は
「あー喧嘩して、実家にもどってるのか〜〜〜」
なんて、思いでみていたに違いない。
でも、どんなに私と一緒でも、なれない環境は、
「ごろ」にもストレスになった。おまけに、新米奥さんの私も、
家のことに仕事にと追われて充分な相手がしてやれない。
あまりにも可愛そうなので、やっぱり「ごろ」は実家に戻ることになった。

3年前の丁度今頃、私は、職場での人間関係から、
すっかり体調を崩していた。
大好きな仕事だったけど、
「そんなに辛いなら、辞めたら」
と旦那さんが言ってくれたこともあり、辞める事に決めた。
「ごろ」は、16歳になり、すっかりおじいさんになって、ボケていた。

夏を乗り切れるかなぁなんて話をする毎日。
そんな時、義姉のところに、ビーグル犬の赤ちゃんが生まれて、
欲しかったらあげるよ。
という話がきた。我が家には、猫もいるし、
散歩に行くのも大変だしねーなんて、言ってたら、
動物大好きの父が、その話を逃すはずもなく、
「じゃあ、お父さんが飼う」
の一言で、ビーグル犬「ラッキー」が家族の仲間入りをはなたした。

ところが、これは、ごろにとってもいい結果になった。
たしかにヨロヨロとはしているけど、
なんだか、「ラッキー」につられてというか、
やんちゃなラッキーを躾けつつ、散歩に行くようになったのだ。
でも、その一月半くらいが、最後の力を出したときだったのかもしれない。
すっかり、ぼけて昼夜逆転になり、夜中に遠吠えをするようになったごろは、
可愛そうだったけど、近所迷惑だからと夜は口輪をさせられ、
最後は、動物病院から睡眠薬をもらって飲ませたりもしなければいけなくなった。
父に噛み付くこともあったりして、
老いというものの、悲しさを見せ付けていたけど、
何故か、私の声は、ちゃんとわかって、尻尾を振る姿は、
小さな頃のごろだった。
年をとると子供に返るっていうけど、
ごろもそうなんだろうね、だから、私はわかるのだろうね、
と父と話したものだ。

秋も深まり、仕事も辞めて遊んでばかりいても仕方ないと思い
「職業訓練校」に行くことにした。
少しづつ体調も戻ってきていたし。
「さー今日から、暫く学生に戻って頑張るよー」
と入校式に出席したその日の夕方、
父が飲ませた水をおいしそうにごくごく飲んで、
そのままごろは、眠るように逝ってしまった。
まるで、元気になった私もみて、よしよしって安心したかのようだった。

今、彼は、私の部屋の前にある、大好きな欅の木陰に眠っている。
どこよりも私の傍がいいだろうからと、連れてきて埋葬したのだ。
だから、きっと今でも、そこで、わたしを見守ってくれている。

今、思い出しても、辛く、かなしく、
どうしようもなかった19年前の私を、救ってくれたのは、
紛れもなく「ごろ」だった。
大切な、家族の一員。




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