| 2006年 7月 31日(月) |
50周年記念、てか?
高崎市立短大が「廃止」され、1957年、高崎経済大学が「新設」されました。2007年の来年、高崎経済大学は「創立50周年」を迎えます。短大時代から数えれば50周年は、すでに過ぎていますが、大学としては来年を50周年と位置づけています。言うまでもなく、50周年はその大学にとってその年1回かぎりの大きな区切り。これにかこつけて何かをやるには非常に重要な年ですし、高崎経済大学としても他の大学がそうしているように、「かこつけて何かをやる」方がいいと思います。せっかくの機会ですから。
でもその場合、「何のために」という部分が大事かと思います。「50年だから」「とりあえず」「何となく」では、いろいろな意味で無駄です。他の大学なら、これを機会に大学の来し方行く末を見つめ、構造不況業界のなかで生き延びていくべく、様々な改革に打ってでようとするでしょう。綿密な計画のもと、いろいろなイベントを執り行い、50周年を記念した物理的・制度的インフラを整えようとするでしょう。大学にとって重要な「顧客」である学生の勉学環境・生活環境を整えるために(校舎や食堂、学生会館、あるいは奨学制度、経済困難学生支援制度等)。そのために必要なお金を、通常の予算とは別に集めようとするでしょう。また全国各地に散らばる卒業生を束ね、母校をサポートする組織作りを強化して、卒業生から物心両面での支援を仰ごうとするでしょう。
構造不況業界を生き抜くには、他大学同様、本学も学生、特に優秀な「学部学生」を「全国各地から集め続けること」が重要です。学習環境を整え、学生にきちんとした教育を施し、社会的評価に耐えうる優秀な卒業生を輩出し続けることが高崎経済大学の存立基盤です。また、全国各地から優秀な学生を集め続けることこそが、設置者である高崎市に対する「真の地域貢献」だと思います。この「研究室だより」ほか、いつも話し、書いているとおりです。
卒業生への社会的評価が大学への評価です。在籍している教員への評価など(たとえ今この瞬間にあったとしても)、その人が移動・定年退職・死亡などでいなくなれば、それでおしまい。霞ヶ関界隈の覚えが良くても(そして、そこからいくら補助金をもらっても)、実社会からそっぽを向かれれば、それでおしまい。卒業生への社会的評価があってはじめて、受験生やその親、企業などから注目されることになるのです。50周年は、高崎経済大学への評価を、これまで以上に高めるための、非常に大きなチャンスです。チャンスには前髪しかありません。これを何としてもつかみ取らなければ、チャンスのうしろはつるっ禿げです。
しかるに、高崎経済大学創立50周年記念事業の雲行きがどうもあやしい。せっかくの機会が生かせないような気がしてなりません。私の単なる杞憂でしょうか。錯覚に過ぎないのでしょうか。成り行きを見守らなければならない部分もあるのですが、何のための、誰のための50周年だか、よく分からない事態が進行しつつある模様です。肝心なところ、本質的なところからずれているように思われます。以下、しばらくのぼやき………………。
50周年記念式典をなぜ平日に行なうのか。50周年記念講演で、なぜ元大物国会議員にしゃべっていただかなくてはならないのか。高崎経済大学に直接縁のない政治家の講演を誰が望んでいるのか。
どうせ式典をやるのならオープンな形にして、全国各地から卒業生が集まれるようにした方がよい。せめて、各地の同窓会支部の代表数名ずつ、後援会支部の代表数名ずつでも参加してもらった方がよい。大学の現状、発展した姿を見てもらい、地元に帰って皆さんに伝えてもらいたい。高崎経済大学のサポーター組織を強化するためにも。パーティーをやるのなら、地元の議員や名士、政治家ばかりではなく、現職教員・名誉教授・職員・卒業生・現役学生が一堂に会するようなものの方がよい。したがって、日程は教員や市役所職員の勤務の都合ではなく、皆が集まりやすい土曜日か日曜日(全国各地からゆっくり来てもらおうとすれば、やっぱり土曜日?)がよい。2000人近く収容できる群馬音楽センターを平日に借りて、いったい誰をどれだけ集め、どんな式典にするつもりか。余計な金を使わなくても、学内の施設で十分対応可能。土曜・日曜なら500人以上収容できる施設はいくつも空いているはず。卒業生を呼ぶなら、大学の現状を知ってもらうためにも、学外施設よりも高崎経済大学に招き入れる方がよい。
記念講演をなぜわざわざ元大物国会議員にやってもらわなくてはならないのか。卒業生や学生の誰がそれを望んでいるのか。参院選の行方でも聞きたいか。政治家の話がダメとは言わない。話を聴きたい向きも一部にはあるかもしれない。でも、せっかくの記念講演なら、50年に及ぶ歴史を有する教育・研究の府に、よりふさわしい人物はいないのか。たとえば、日本にだって世界的に有名な経済学者は何人もいる。そうした人々による記念講演会やシンポジウムは考えられないのか。
そして何よりも大事なこと。そもそも、こうしたことをいったい、いつ、誰が決めたのか。いろいろな考え方があっても、どこかで機関決定されたのなら、議論を尽くせたのなら、それもよし。しかしながら、記念式典の月曜開催(たしかに6月25日やけど)、元国会議員の記念講演を、誰が決めたのか。まがりなりにも、私は評議員。うえで書いたようなことは、評議会の場で話題になったことすらない。50周年に向けた動きを含め、いろいろ遅れているのが気になって、7月12日の評議会でわざわざ問いただしたときには、まったく触れられなかった話。「正式には」まだ「決まっていない」というのかもしれない。でもウラでは決まっている。いつかと同じ。いつもと同じ。これで本当にいいのか。こんな50周年を2万数千に及ぶ卒業生、現役学生は望んでいるのか。そして納税者も。いったい誰のための、何のための50周年なのか…………………。
新体制に期待されていたことはいっぱいあったはずです。食堂の混雑、自転車の置き場所!いまだにそのまま。もう前期は終わります。学長候補の3名全員が言及した学長選考規定の改正!話し合いすら始まっていません。50周年を契機とした寄付金集め!まったく眼中にないようです。保健師ひとりで4000名からいる学生の保健管理を行なう体制の不備!「高崎経済大学保健管理センター」など、構想にすら入っていません。一人暮らしをする学生がこれだけいるのに。健康管理が行き届かないと、就職に響くのに。
50周年記念事業にとどまらず、やるべきことはたくさんあるはずですが、方向性すら定まっていないのは、残念ながら、やはり大きな問題といわざるをえません。力の入れ時、入れどころを間違っています。これまで以上に、評議会で突っ込んだ議論をしていかなくてはならないでしょう。
↑鉛筆マークを押すと日記にレスを付ける事ができます。