| 2004年 1月 17日(土) |
1月17日という日
ちょっと日記をお休みする予定を変更し、
私の思い出を記す。
あの日の早朝、神戸を大きな地震が襲ったと
テレビで知り、私の脳裏に、神戸に住む友人
数人の顔が浮かんだ。
電話をするが通じない。
(お願い、みんな無事でいて!)
幸い、友人達は皆無事だった。
友人達が生きていてよかったと心から思った。
その年の春、私は念願の大学生になった。
経済的困難という理由から昼間に通う事が出来ず、
通信教育だったのだが、それでも嬉しかった。
京都の大学だった事もあり、あの震災を経験した人に
スクーリング(通信教育では大学法で定められた
単位数、実際に授業を受ける事になっている)で
たくさん逢って当時の話を聞いた。
友人や身内を震災で失い、その供養のために
大学入学したという方もいた。
この年はボランティア元年とも言われ、大学でも
「ボランティア学」の単位が新たに作られた。
大学ではいろいろな人に逢い、その出会いは大きな
収穫だった。Mさんもお世話になった一人だ。
Mさんの長男は震災のため、修学旅行に行けなくなったが、
最も被害の大きかった地区でのボランティアに参加し、
修学旅行に行くよりも得たものは大きかったのではないかと
母親であるMさんは語っていた。
通信教育は入学は簡単だが、卒業するのは困難と言われ、
ほとんどの人が1、2年目で挫折して去って行った。
Mさんや、他の方々と「絶対一緒に卒業しようね!」と
励ましあい、その言葉が大きな支えの一つだった。
卒業式の日、約束した人たちとの再会を果たしたのだが、
なぜかMさんの姿が見えない。
気になって自宅に電話すると、娘さんが出て、
「母は具合を悪くしてしまって・・・」と言う。
後で知ったのだが、Mさんは卒業式目前に突然倒れ、
命はとりとめたが、過酷なリハビリを要する状態に
なっていた。
それから何ヶ月も経って、Mさんから葉書が届いた。
リハビリのために字を書いてます、という内容で、
一文字一文字が力強かった。
この日が来る度に神戸を思い、震災の話をして下さった
方々を思い、今もリハビリを続ける神戸在住のMさんを思う。
当時、職場の理解が得られず震災直後の神戸に
ボランティア活動をしに行く事は叶わなかった。
今の私にできる事は、1月17日という日を忘れずにいる事、
そして、自分でもできる何かを継続してゆく事。
私に親切にして下さった、たくさんの震災経験者の方々の
やさしさを、決してわすれずにいよう。
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