February-16-2004 (Mon)

スッカリ夜行性だゼ、イェイッ♪



起きて、パソ仔チャンの電源入れて、自分のHP開いて、日記書くか…
この行動、間違ってると思うわ(笑

今日はね、珍しくもう1コの日記よりも、此方の日記を先に書いています。
深い意味も何も無く、ただ何となく。
色々語りたいのだけど、語れる事が何も無い(爆

慧鵡子には「視覚」というものがあるから、明るい世界も、暗い世界も、知っている。
でも、例えば暗い世界の中で明るい世界は目を閉じて想像する事が出来ても、
明るい世界の中で暗い世界は目を閉じてもなかなか想像出来ない。
瞼が目を覆っていても、その向こう側の世界の明るさはある程度解るじゃないですか。
明るさが伝わってくる中で目を瞑って、頭の中に暗い世界を描こうとしても、
向こう側の明るい世界がその邪魔をする。

最近、印象に残った言葉があって。
「「暗い」と感じるという事は、「暗い」という光を見ている」のだと。
そんな感じの言葉。
「視覚」を失った人には、乳白色の世界が見えているらしいのです。
「見えない」とは、そういう事らしい。

慧鵡子はずっと、「見えない」って、真っ暗な、光の無い世界かと思っていた。

その言葉は、映画「解夏」の中で聞いたものなのだけど。
観たのは2月の初めなのに今更その話題かよって感じですけどね(苦笑
何故か書きたくなったのです。

五感である、「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」。
今失ってしまったら1番困るものは何だろう、と考えた。

やはり、「聴覚」かなぁ、と。
いや、どの感覚もなくなってしまったら困るのだけど。
どれかひとつしか残す事が出来ない状況になってしまったら…
とか考えてみたりするわけです。
自分が選んだものが残せれば良いですけどね、現実はそうもいかないでしょう。

「嗅覚」と「味覚」は美味しい食べ物を味わう為に重要ですし、
ライヴに行ったら「視覚」がなければ寂しいでしょう。
「触覚」は…あれ??笑。

結局何が言いたかったのかというと、「視覚」を失ったとしても、
世界は暗くはならないのだという事、…なのかなぁ(オイ
乳白色は「明るい世界」。
光に満ち溢れていて、世界は暗くて見えないのではなく、
明るくて、眩しくて、だから見えないのでしょう。

そう考えると、Due'le quartz「monochrome」の詩の世界が
少しわかるような気がする。



もう1コの日記。




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