| 2004年 1月 27日(火) |
持つ勇気 変える勇気
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●人と話していて「あの人は、前にはそのようには言っていなかったはずだが・・・。」と言うと、「でも私はそのように聞いたよ。」という場面がたまにあります。ある見解を言った人の見解そのものが変わったのか、聞いた人が違うように捉えたのか、もともと聞いた私自身が違って受け取っていたのか、それを確認するためには、またまた面倒な手続きが必要となってきますが、人の考えが後になって変わるということは当然あるでしょうし、周囲もそれを認める寛容さがあってよいでしょう。ところが自分の中で以前に持った見解に変化が起こっているにもかかわらず、立場上変えられないと固執したり、以前の見解が変わったことを述べたら周囲が許さないのではないかと考えると、人間関係はギクシャクし、更に次なる問題が派生してきます。存在するはずだった大量破壊兵器を根拠とするイラク攻撃の大義が揺らいでいる今、攻撃に賛成あるいは反対を述べた人たちの人間関係やそれに関連する一切の事柄も揺らいでいます。
●湾岸戦争の時に、イラク兵が病院で15名の赤ちゃんを殺したという証言が少女によってなされ、国際世論は一気にイラクを悪と見るように変わりました。しかし後にそれは、作られた偽の情報であることが分かりました。このようなことがあると、当然それを見た直後と偽情報であったと分かった時点で、人の見解は変わるでしょう。このように現代は、情報が氾濫し、しかも作為的な情報も流される時代ですから、これこそ間違いの無い見解だというものを持つことが困難ですが、多くの人が言っている意見だからと迎合せずに自分の見解を持てたらいいですね。たとえそれが周囲から見てほんの少数派であって、あるいは自分一人であったとしても、自分の得た情報と自分の思考したもので判断する勇気を持ちたいと思います。そしてその後に得た情報や考えたことによって、自分の見解が変わった時には、以前との違いを認めて、自分の考えが変わったことを明らかにする勇気も持ちたいと思います。
●それにしても事実でなくしかも自分が体験していない出来事を、正義の証言者としてカメラの前に立たせられた当時15歳の少女ナイラの心の中には、あの出来事がどのような形で残っているでしょうか。強制させられて持つのではなく、周囲に迎合して持つのでもない、自分の心に納得できる考えをいつも持ちたいものです。