2004年 1月 29日(木)

信仰の筋肉

●木曜日の午前中は、聖書学び会があります。その中のメンバーの婦人が、先週心配そうな顔をして「先生、祈ってください」と入ってきました。「どうしたの?」と訊くと、前の晩にご主人が路上で転倒して、それが原因らしく、今朝起きたらめまいがして出勤できないというのです。それで私は他のメンバーと共に癒されるように祈った後、「今日はまず帰って、病院に行って診察してもらった方がいい」と言いました。婦人は、病院に行った後、連絡の電話をくれましたが、今日はその後のご主人の様子を訊くと、幸いにも頭の方には異状がなく、耳の打撲で平行感覚が不調になったけれどめまいが治まり、今週から仕事に出かけることができるようになったとのことでした。
●私たちには、神様の守りを信じていても、このような予想しない心痛む出来事に会うことがあります。そのような時にある人は、自分が何か悪いことをしたからだと考えたり、また自分の信仰の不足から悪魔の攻撃を受けたのかもしれないと考えます。しかしそのどちらでないとしても、嫌なことが起こることがあります。その理由の一つは、神様を信頼する信仰を強めるために神様の許可の下に起こることです。私たちは、トレーニングをしないで速く走れるようになったり、重い物を持てるようにはならないように、神様を信頼する信仰も、訓練を通して強くなるのです。いわば私たちが困難に出会うことの多くの理由は、神様が私たちの「信仰の筋肉」を強めようとされているためであることが多いのです。
●そのような時は、悪いことの原因を誰かのせいにして逃げるのではなく、まず現状をしっかり受け止めることが大切です。つまり病気であれば、お医者さんの診察を受けることです。そして次に、問題の解決のためにどのような対策が出来るのかを考えて、行動をすることになります。パニックしないで目の前にある現実を、しっかりと受け止めること、これが「信仰の筋肉」を強める最も基礎となるものです。

★およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。(聖書[新共同訳]ヘブライ人の手紙 12:11)