2004年 10月 29日(金)

青春


●先日、大学時代の同窓会報が届きました。写真を見ながら、自分のことは棚に上げて、O君はこんなに年をとったのかと驚いたり、I君の写真は何年前のものかと疑いたくなるほど若々しい顔もありました。それでも顔や頭を見ると、どんなに頑張っても、時間は皆に確かに加えられているなと実感せざるをえませんでしたが、その中でK君が、次のような文章を書いていました。
「《青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の持ち方の様をいうのだ》とサミュエルなんとかって人が言ってましたね。年齢を重ねただけでは人は老いない。理想を失ったときに初めて老いが来る。歳に関係なく心の持ち方でいつでも青春なんです。」そういえば、彼は心や行動で青春しているなと思えます。私もひとつ青春を意識しなくっちゃと思いました。それは、彼が言う「理想」を持ち続ける事に関してです。
●しかし「理想」を持つということはどのようにすることでしょうか。「初心忘れるべからず」という言葉がありますが、「初心」とは、いつ持ったことを言うのでしょうか。この言葉は、挫折しがちな自分の心を見つめるために、多くの人を励ましてきた言葉ではありますが、一方ある人にとっては、挫折感を与える言葉にもなります。自分が願っていたようにはなれなかったということが、あたかも人生の失敗者であるかのような感じを抱かせてしまうからです。
●実現したい目標が達成できなかったことを考えて、自分は「初心を忘れてしまった」と落ち込む人に対して、菅野泰蔵(学習院大学)は、次のように言います。
「だいたい、初心というものは忘れるものなんですよ。忘れるのが普通、当たり前なんです。人は月日や自分を取り巻く環境と共に変わっていくものですよね。数年たつと、当時の自分と考え方がまるっきり違っていることもあります。ずっと初心を忘れないというのは、ある意味で硬直した人生を送っているともいえるわけで、そう考えると初心に戻ること、初心を取り戻すことがいいとも思えません。当時のあなたと今のあなたでは年齢も周りの状況も違うんですから、結局、そういう今のあなたから次のあなたを目指せばいいのです。」
「初心」に固執せず、それとは異なるものであっても、現在「理想」とする生きる目的を持つことでいいのですね。パウロは、
「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ人への手紙3:13,14)
と語っています。若いときに描いた「初心」を実現できた人は、素晴らしいと思います。でもそれゆえに、現在の「理想」が失われているとしたら、そのときから老いるという現象が始まるのです。「初心」は、忘れても、未だ実現していなくても、今「理想」を求めている姿は尊いのです。