2004年 12月 12日(日)

いのちのパンであるキリスト

【礼拝メッセージ要約】

●いつの時代にも、人々は強いリーダーシップを発揮する指導者を求めています。それによって、自分たちの夢や希望が実現することを期待しているからです。しかし現代において、多くの人々の希望をかなえると期待されている民主主義であっても、複数の候補者の中から1人の人物を選出することになると、当然それに対立する人たちもいることになるので、一人の指導者によって世界に真の平和が実現することを求めることは、人間の歴史が続く限り止むことはないでしょう。しかし世界を創造された神は、約2000年前に、世界に平和をもたらす人物として、神の独り子を『救い主(メシヤ)』として地球上に誕生させたのです。それがクリスマスの出来事でした。けれども人々はそれを受け入れず、彼イエス・キリストを十字架にかけて殺したので、彼による平和な世界の実現は、後に持ち越されることになりした。そこで世界は、今なお混沌とした中にあり、各地で人々は平和を求め続けています。神は、そのことによって、世界平和の実現をあきらめたわけではなく、十字架の死から復活し昇天したキリストが、再臨されることによって真の世界平和を実現させようとしているのです。
●そこで、最初に来られた時のキリストに対して、人々はどのように反応し、またキリストご自身は、何をしようとされたのでしょうか。ヨハネの福音書6章1−71節には、このことが書かれています。当時の人々は、『救い主(メシヤ)』に、モーセのような偉大な預言者を期待し、更に自分たちの生活の必要を満たしてくれる王様でもある指導者を期待していました。「救い主」として来られたキリストは、人々から拒否され、十字架にかけられて死ぬことも知っておられました。そこで彼が選んだ弟子たちによって、キリストの再臨までの間、イエス・キリストを受け入れる人々を導くために、弟子たちが信仰によって神のわざを進めるための教育の場を用意されていました。
●ある日、キリストは弟子たちを連れて、ガリラヤの湖の近くの山にいました。そこには、イエスが病気を癒された話を聞いた人々が、1万人以上も集まっていました。そのうちに夕方も近くなり、人々が空腹であるという状況の中で、キリストは弟子にここにいる人たちに「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。(マタイ14:16)」と語りました。弟子の一人のピリポは、すぐに彼の頭の中で計算をして、これだけの人に食事を用意するなら200万円近く必要なので無理だろうと言いました。一方アンデレという弟子は、一人の少年が持っていた五つの大麦のパンと二匹の小さい魚を持ってきましたが、これもこの人数に与えるには、とても間に合わないと言いました。キリストはこの2人の答えを聞いて、信仰を用いるならば、神が働いて下さることを弟子たちに教えました。そしてこのわずかのパンと魚で、ここにいた1万人以上の人を満腹させたのです。この記述を理解するために霊的な解釈にしようとする人がいますが、これはパンと魚が増えて、人々のおなかを満たした実際の出来事であると信じます。なぜなら現代においても、1965年にインドネシアでリバイバル(信仰復興)が起こった時、パンを2つに裂くと残りのパンが大きくなって、そこにいた人々の空腹を満たしたという実例が報告されているからです。またこの時、聖餐式で水がぶどう酒に変わったことも起きました。主は、2000年前も現代も、同じように働かれるのです。
●続いてキリストは、人々を解散させると弟子たちを船でカペナウムという町に向かわせ、ご自身は山に向かいました。弟子たちは、船をこぎましたが、湖は吹きまくる強風によって荒れ、午前3時になっても目的地に着くことができませんでした。するとその時、湖の上を船の方に向かって歩いてくる人影を見て、弟子たちは恐怖に襲われました。しかしそれはキリストでした。マタイの福音書によると、この時ペテロは、水上歩行の体験をしています。このようにパンの増加と水上歩行という目の前で起こった出来事によって、12人の弟子たちの信仰は、強くなっていきました。その証拠に、続いてキリストが語った「人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。(ヨハネ6:53)」という言葉に、多くの弟子たちはつまづいてキリストのもとを離れていきましたが、12弟子はその後も従いました。この水上歩行の出来事も、1965年のインドネシアで起こっています。
●弟子たちの信仰が強まっていったのは、キリストを通して信仰の新しい可能性について見ることができたことにもよりますが、キリストご自身が望んでおられたのは、「いのちのパン」であるキリストをいつも求めることでした。勿論
6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。
6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。
ということは、霊的に解釈される言葉ですが、絶えずキリストとの親しい関係を保つことによって、これらの信仰も成長をみることができるのです。私たちは、信仰の賜物を通して働く神の国の実現に、喜んで参与していきましょう。