2004年 12月 14日(火)

インマヌエルの神/2

●昨日、神は、信じる者たちから遠く離れて存在しているのではないということを書きました。それは、神が霊であって、私たちは母親の胎内にいる赤ちゃんのように「神の中に生き、動き、また存在している(使徒17:27、28)」ということにより、私たちが祈れば、いつも神はそばにいてそれを聞いていてくださるのです。
●そこでC.S.ルイスは、人間がどこにいても神の守りを意識できるということは、私たちが箱庭を作ってその全体を見ることができるように、宇宙も地球も造られた神が、箱庭の外である天の領域から私たちを見ているなら、私たちに何かの問題が起こる時にすぐに守ることができますし、もし問題に直面してもただちに助けに行くことができるので、神は「インマヌエル(神は私たちとともにおられる)」であるということができると説明しています。私は、飛行機に乗って離陸し始める時に、眼下の歩いている人々や車の流れを見ながら、神もこのように私を見ておられるのかと思って嬉しくなる時があります。
●しかしキリストは、更に次のようなことを言われました。
「もし(キリストが)行けば(昇天すれば)、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。」(ヨハネの福音書16:7)
「その方は、真理の御霊です。・・・その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」(ヨハネの福音書14:17)
イエス・キリストを自分の救い主として信じる人の心の中に、霊である神がともに住んでくださるというのです。このことは、亡くなった方を思い続けることを「あの人は、私の心の中に生きている」と表現することとは異なり、霊である神がその人の中に実体として住んでくださるということです。
●よくキリスト教に批判的な人は、次のように言うことがあります。「キリスト教が始められた頃、十字架ではりつけにされて死んでしまったイエスを、弟子たちがあたかも彼が復活したように工作して、人間イエスを神の子キリストにでっち上げたのだ」と。しかし聖書に描かれている情景を読むならば、これは正しいとは言えません。なぜなら弟子たちは、イエスが逮捕された時点で、皆散り散りになり、彼らも殺されるのではないかと恐れて隠れ、リーダーのペテロでさえも失望してもとの職業の漁師に戻っていたからです。ですからキリスト教という教団を作ろうという思いは誰にもありませんでした。しかし事実は、弟子のユダを除いて他の弟子たちが、世界を変えていく人々の群れに変わって行き、そのうち10名の弟子たちは、殉教するまで熱心に伝道する人々に変わりました。もしこれがでっち上げの作り話であったら、誰が自分の命をかけてこのようなことをするでしょうか。では彼らに何が起こったのでしょうか。それはキリストが語られたように、キリストの復活は事実起こり、また弟子たちの心の中に、霊である神が宿られたからです。それ以来、弟子たちに起こった心の中に霊である神が住まわれるという真理は、他のイエス・キリストを自分の救い主と信じるクリスチャンにも起こりました。神がともにおられるという「インンマヌエル」の神の働きは、このようにして、命として最も身近に存在するという出来事として、神は信じる者の心の中におられるのです。ですから私たちが神を意識する時、天から私たち個人を見守っておられる神として、また私たちを覆ってくださっている霊の神として、更に信じる者の心の中に住む神として、いずれも「インマヌエル(神は私たちとともにおられる)」のです。