2004年 12月 18日(土)

イエス様をとりまく人々

★教会でクリスマス礼拝が行われるのは、明日の日曜日が一番多いかもしれませんね。なぜならもう1週遅らせると、26日なってしまいますから、それではクリスマスというわけにはいかないでしょう。そこでクリスマスに関する話題もあと少しになります。
★この世の救い主が誕生されたというクリスマスの出来事に出会った人達については、マタイとルカの福音書に記述されています。神が人間の形をとって、この地上に来られたという事実に、人々は様々な反応をしました。エルサレムの人々は恐れ戸惑い、またその中でもヘロデ王は、この救い主を殺そうとしました。救い主が来られるということは、預言者によって語られてきたことですから、人々はそれを待ち望んでいましたが、実際にそのことが起きると、多くの人々は受け入れることを拒否しました。
★この事は今日でも同様です。人々は、心の平安と満足を得たい、死の恐れから逃れたい、また健康で良い生活をしたいなど、つまり「救い」を願っています。しかしその救いの道が自分の前に示されると戸惑いを覚えます。それは自分が願っているような方法で示されないからでしょう。
★約2000年前に起こった救い主の誕生について、信仰をもって応えた人々の姿が聖書に描かれています。東方の博士たちは、1か月近い日数をかけて、多くの召使をつれて旅をしてきたと考えられています。彼らは、東方の国の学者であり貴族でもありました。ですから日常生活では、いつも召し使いの礼を受けている彼らでしたが、なんと博士たちは、目の前にいる貧しい若い夫婦に抱かれている幼子の前に出て、地にひれ伏して拝みました。彼らは、その幼子が世の救い主となられる方であることを知っていたからです。
★また野にいた羊飼いたちは、御使いの語られたことばに忠実に従いました。そして飼い葉おけに寝ている幼子を見つけ、それが彼らの救い主である事を信じました。
★イエス様の父の立場となるヨセフにとって、結婚前のマリヤが身ごもったということは、大きな悲しみであり試練の時でした。しかし彼は、夢の中に現れた御使いの言葉によって、マリヤをそのまま受け入れました。周囲の者たちの興味いっぱいの目の中で、彼はマリヤを守り続けました。
★またマリヤは、自分が身ごもるようなことをしていないという事実にもかかわらず「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように (ルカ1:38)」と受けとめました。
★エルサレム郊外のエレン・カレムに、身ごもったマイヤが、その喜びをもってエリサベツを訪問したことを記念する教会堂があります。その教会堂の壁には、ルカ1:46-55 にあるマリヤが神による選びを光栄に思って歌った歌「マグニフィカト」が各国の言葉で書かれて飾られています。「マグニフィカト」とは、ラテン語で、この歌の最初の部分のことばである「私はあがめる」という意味です。
★人の理解を超えて示された救い主の誕生を受け入れた人たちには、「私は主をあがめる」というまことに神を恐れ、信頼するという姿が見られます。このクリスマスの時、私たちは、これらの信仰の先輩たちの姿から、もう一度その姿勢を学び取り、神様が与えて下さった「救い」を喜びましょう。