2004年 12月 2日(木)

教会でもクリスマスを?

★木曜日は午前中「聖書学び会」が持たれていますが、アドヴェントに入って、今年初めてクリスマスソングを歌いました。北海道では、外に雪が降って初めてクリスマスの時期になったような気分になります。夏にクリスマスソングを歌ったら、なんとなく違和感を覚えることでしょう。しかし約2000年前にキリストが誕生したのは12月ではなく、3日から11月の間であることは確かなようです。今では誕生日をこれ以上確かめることは無理ですが、ちょっとしたら夏であったかもしれません。ホワイトクリスマスなどの言葉が生まれたのは、キリスト教は先に欧米に伝えられていったので、その習慣から生まれたものです。またクリスマスという行事そのものは、聖書で祝うように書かれているものではなく、他の宗教の祭りであった冬至の祭りと結びついて生まれてきたものです。
★そこで私が毎年クリスマスの時期になって心を痛めるのが、クリスマスというと母マリヤに抱かれた赤ちゃんであるイエス様の絵や像が飾られることです。クリスマスが、イエス・キリストの誕生を祝う時だとすると、毎年誕生日に赤ちゃんの時の写真を飾ってお祝いをされる人はいません。成長したその時の本人の姿を見てお祝いするはずです。毎年イエス・キリストを赤ちゃんにするならば、クリスマスという行事が形式化しておかしくなってきているのは確かです。
★カールトン・ケニー師は、『クリスマスについての考察』という本の中で、「イエスは、今日、現在の、真の御姿ではなく、彼がマリヤの保護の下に、依存されておられた時のイエスとして記憶されています。・・キリストが、肉として来られた歴史的事実を想起し、聖霊の霊感による感謝の心は、純粋な礼拝の表現です。私たちの心の中で、神の御子を赤子として愛することは、純粋な礼拝ではありません。」と語っています。クリスチャンは、イエス・キリストを神だと信じていおり、神は人間から守られる必要はありませんし、力のない赤ちゃんでもありません。ですから神であるイエス・キリストが、人間であるマリヤよりも力のない方だというイメージを与えることは、信仰的に危険であり、間違った礼拝に導かれることになるので、私はこのスタイルに反対です。
★実際に冗談ではなく、「教会でもクリスマスを行うんですか?」と言われたこともあるのですが、クリスマスの本来の意味が忘れ去られ、人々の金儲けやお祭り騒ぎの機会となったり、単なる恋人同士のロマンチックな行事や他の宗教でもお楽しみ会としてクリスマスが行われている姿を見ると、ちょっと複雑な心境の中で、この時期にこそ本当のクリスマスの意味を知ってほしいと思います。