2004年 12月 30日(木)

真珠の体験

●もうあと2日で、2004年が終わろうとしています。財団法人日本漢字能力検定協会が、日本のこの1年の世相を表す「今年の漢字」を全国公募した結果、「災」と決定しました。「災」を選んだ理由には、台風、地震、豪雨、猛暑などの記録的な天災やイラクでの人質殺害や子供の殺人事件等の人災が多発したことが挙げられています。そして年も終わろうとしている時に起こったスマトラ沖地震による津波によって、更にこの「災」の印象が強められています。
●これらの「天災」「人災」の直接的な影響が無かった人であったとしても、この1年間は必ずしも嬉しい出来事ばかりがあったわけではなく、むしろ思い出しても嫌な出来事が多くあったことでしょう。私たちは、この消すことが出来ない嫌な体験をどのように考えるべきでしょうか。
●聖書のヨハネ黙示録には、天国の様子が次のように描かれています。 「(天国の)十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。」(ヨハネの黙示録21:21) なんと天国の門は、一つの真珠でできており、しかも人がその中を通ることができる大きさなのです。また天国のどの門も真珠でできていたということは、天国に入るための条件は「真珠の体験」を経た人であるということを意味しています。
●真珠は、自分の中に入った砂のために傷ついた真珠貝が、長い年月をかけて痛みをもたらす砂に少しずつ皮膜をかけて、それを痛くないものに変えてしまった結果です。いわば真珠貝の涙が、神秘的な輝きをもった真珠を生み出したのです。ある人は、次のように言っています。「真珠は、癒された傷である。傷がなければ真珠はできない。私たちの生活における不幸は、祝福に変えることができる。心の痛みは、貴重な真珠に変えることができる。」
●天国の門が真珠であることの第一の意味は、キリストの十字架の苦しみの体験を経て得た復活という勝利の姿を意味します。誰一人、キリストの十字架と復活なしに、天国に入ることができません。そして第二の意味は、私たちが信仰生活の中で体験する苦しみ・悲しみ・痛みを、真珠に変えることが、一歩ずつ天国に近づけているということです。
●私たちはだれでも痛みや苦しみを避けたいと願いますが、主に願うならばその通りに嫌な体験を避けることができるとは限りません。キリストも、地獄につながっている十字架の苦しみを避けたいとゲッセマネの園で祈られましたが、それを体験することを父なる神が望んでおられると知った時に、自分の前にある苦しみの杯を飲みほす決心をしました。それによって天国の大きな真珠の門ができたのです。
●私たちが、この1年間の出来事を思い出す時、主に従って来たのにかかわらず体験した痛みはあるでしょう。また自分の失敗の故に受けなければならない痛みもあるかもしれません。しかしこれらのことは、私たちが忘れてしまおうとしたり、他人のせいにして責任放棄せずに、自分の中にしっかりと受け止めるならば聖霊はそれらを真珠に変えてくださるのです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(新約聖書/8:28)