2004年 2月 1日(日)

三人の会話

A「中東って一体どうなっているんだ。」  
B「なにが?」  
A「なにがって、毎日、攻撃とテロの応酬だろ。よく平気で、あんなことが出来るな。」
B「彼らは、長い間、動物を殺して食べてきただろ。だから血を流すことに平気なんだ。たとえそれが人間の血であっても、日常的なことと思っているんじゃないか。その点日本人は農耕民族だから、血を流すことが嫌いだし、平和主義者なんだよ。」
A「ひょっとすると、このごたごたは宗教観の違いかも知れない。」  
B「宗教観の違いというと?」  
A「つまり彼らは、ユダヤ教とイスラムの違いはあるが、一神教だろ。一神教は、自分の方だけが正しいと言うから争いが起こるんだ。日本は、八百万(やおよろず)の神々を信じる国だから、他人の宗教も認めて寛容になれるんだ。」
B「なるほど、そうかもしれないな。聖書というのは、排他的だよ。旧約聖書には、戦いが多く書かれているし・・・」  
C「うーん・・・ちょっと待って・・・。折角話がまとまりかけてきたところで、水を差すようになるのもなんだけれど、二人は本当にそう思うのか。」
B「ということはなんだい、お前は違うと言いたいのかい?」  
C「いやー、そんなに簡単にまとめることができるかなって・・・、今の話し合いには、ちょっと疑問が残るんだ。」
A「ということは、何だよ・・・」  
C「例えば、狩猟・牧畜民族は血を流すのが好きで、農耕民族は平和主義者と決め付けるのは、どうも・・・」
A「そうじゃないのか?」  
C「確かに、日本人は農耕生活が長いと思う。しかし日本だって鎖国の時代があって外国との戦争は少なかったかもしれないが、それが終わるとすぐに日清・日露・日中戦争そして太平洋戦争だろ、平和主義者とは必ずしも思えないよ。」 
A「そりゃ日本の場合には、外国との関係で、やむにやまれずというところじゃないかな。」
C「やむにやまれずということでは、どの国でも同じじゃないのかな。例えば、兄弟げんかでも一方だけが悪いということはない。お兄ちゃんがたたいたと弟が泣けば、その前に弟が兄貴のおやつ失敬していたとか、・・・それなりのやむにやまれぬ理由があるよ。」
A「まあそういうことかもしれないが、宗教の違いはどう思う。一神教は、やっぱり頑固で残酷な面を持っているだろ。」  
C「これにもちょっと疑問がね・・・」  
B「今のアメリカを見ろよ。世界中で自分だけが正しいと言っている。しかもアメリカは、キリスト教国だろ。」
C「アメリカは、キリスト教国なのか?」
B「えっ? ・・・そうだろ、ブッシュ大統領が、9・11の同時多発テロの時に、十字軍発言をしたからね。」
C「それじゃ、日本は何教国と思う?」  
A「仏教国かな? いや神道かな? えっ? 八百万の神々の国?」  
C「もし仮に日本を仏教国としたら、特にアジアから日本を見た場合、殺生を禁じている仏教国である日本が、なぜ我々の国内で残酷な行為をしてきたのかということになる。そうすると日本は、仏教国といえるのだろうか。」
B「なるほどね。少し前のある首相は、日本を神の国とも言った。」 
C「じゃあ、日本の国のリーダーが言った一言で、我々は皆同じ宗教を持っていると言えるだろうか。ところでB君の宗教は?」
B「俺? 無宗教だよ。」
C「そこだ。自分が信じてもいないもので、十把一絡げに日本は仏教国だとか神の国だとか決めつけられて、だから日本人はこうなんだと言われたら、それも別の意味で偏見になるんじゃないかな。」
B「そうか、そうだよな。他人を批判する時は平気だけれど、自分が同じような見方をされたら腹が立つよな。俺には、違う面があるって言いたくなるし・・」
C「確かにブッシュ大統領の意識の中には、たぶんに宗教色はあるかもしれないけれど、現地にいる兵士は、皆がそう思って任務に就いているわけではないと思う。」
A「あれ、なんだか更に難しい問題になってきた。」 
C「民族とか、宗教とかに分類して物事を考えるのは、ある意味で便利だけれど、それによって偏見とか決め付けが出てくると、正しい判断からかえって遠ざかるかもしれないということさ・・・」
B「俺さ、ユダヤ教とかイスラムとか言ってきたけれども、正直なところ実は聖書を読んだことがないんだよ。」
A「俺だって、学校の歴史の時間というと、縄文時代とか弥生時代の印象は残っているけれど、日中戦争とか太平洋戦争なんて、内容をさっぱり知らないよ。3学期で時間がないから先生が『あとは自分で教科書読んどけ』と言っただけだからな。」

まだまだ三人の会話は続きそうです。