| 2004年 2月 10日(火) |
繋がさらない
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●「ああ、繋がさらない・・・」と私の口から漏れた。そしてやはり私は道産子だと苦笑した。ホームページの一部を変えたので、アップロードしようとしたのだが、うまく接続ができないのである。それであったら「繋がらない」ではないかと指摘する人がいるかもしれないが、いや「繋がさらない」のである。勿論これは北海道弁であって、言語学的にはどのような説明がされるか知らないが、私にとっては「繋がらない」という表現は、なにか機械の一部の調子が悪くて接続できないという事実だけを表現したやや冷たい言い方に感じる。しかし「繋がさらない」は、機械の調子は良いし、手順もきちんと踏んでいるので繋がって当然であるにもかかわらず、繋がってくれないという苛立ちの気持ちと、私の努力を認めてくれという思いが入り込んだ表現である。
●方言には、このように標準語にはない感情が込められた表現が多い。同系で「書かさらない」がある。手が痛くて「書けない」のでも、文字を忘れたので「書けない」わけでもない。自分では書きたいと思っており、ボールペンにインクが十分入っているのが見えるにもかかわらず「書さらない」のである。それを標準語に直して表現すると、このような説明を加えた上で、「・・・なので、書けない」ということになる。このように方言には、短いことばの中に多くの情報詰まっているものが多い。だから方言をもっと大切にすべきだと思うし、自信を持って使っていいと思う。
●しかし最近、スーパーに行って北海道発信と言われる「・・・でよろしかったでしょうか?」や「・・円からお預かりします」には、まだちょっと抵抗を感じる。「・・円からお預かりします」については、「あなたから預かった消費税については、きちんと政府に納めますよ」と言っていると私なりに解釈しているのでそれほどの違和感はないが・・・。自分では方言を大切にしたいと思っているが、全国各地から集まってくる学生のいる聖書学院に教えに行っている関係で、最近は、「ごみを投げる」には気をつけて「ごみを捨てる」にしようと努力はしている。しかし使い慣れたことばを変えるには努力が必要で、言おうとすると一瞬、間があって「・・・捨てて」となってしまう。でも未だ私は「手袋を履く」し、近所の人の「最近、しばれますね」という挨拶には親しみを持つ。やっぱし、方言を使っている方が、なんぼかあずましいかもしんない。