| 2004年 2月 15日(日) |
神は人を用いて働かれる◆マルコ4:26−29
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【礼拝メッセージの要約】
●信仰とは、神が約束された聖書のことばを通して働かれることを信じることであり、その人の心が平安である時に、健全な信仰の確認ができます。では人の願いが、信仰によってどのように実現に至るのでしょうか。
◆マルコ4:26ー29「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」
●この聖書箇所は、自分の願いが信仰によって実現していく過程を示しています。それは、農夫が実りを期待して種を蒔き、実りを待つ様子に似ています。ある人は、信仰を持って祈るならば、人は何もしないで待てばいいと思っていますが、実は人が行動しなければ成就しない場合も多くあるのです。種を蒔かなければ実りがないように、願っていることが成就するために、人がすべきことと神がしてくださることの両面があります。事が成就するのは神のわざですが、その過程において神は人を用いようとされます。また人がその時に、神に応える働きをしなければ、その結果も得ることはありません。
●勿論、人が何でも行動すればいいというのでもありません。まず人が、種蒔きから大収穫を期待するように、どんな結果を望んでいるかのイメージをはっきり描くことは大切です。その上で、畑を耕し、種蒔きをし、肥料を施し、雑草を取るなどは、人が行うべきことです。ヤベツが「・・・御手が私とともにあり、・・・(1歴代4:10) 」と祈ったのは、彼の行動に神が守りを与えてくださるようにという信仰の祈りです。麦の実りを期待する時に、畑の耕しも種蒔きも、11月頃の「初めの雨」があった後に行わなければ実りを得られないように、人の行動の結果として願いが実現するためには、それをスタートさせる時期を知ることが大切です。雨が神のわざであるように、人の願いが実現に対する神の了解を得た確信を得た後に、種蒔きである信仰の行動が始められます。イエス様も、時に関しては「わたしの時は、まだ来ていません」と、父なる神の語りかけを、注意して聞き取っていました。
●しかし確信をもってスタートしたにもかかわらず、嵐や旱魃、イナゴの害などが予想されて、途中で不安になることが度々あるでしょう。その時にこそ、神の守りを求めて祈り、また始める時に神から頂いたみことばの約束に立ち返るのです。私たちの信頼する神は、「農夫を指図する神は、彼に正しく教えておられる。(イザヤ28:26)」のであり、「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。(イザヤ55:11)」お方だからです。
●神が私たちを用いて働きをさせようとされるのは、途中の苦労を忘れさせるほどの刈り入れの喜びを、私たちに味わわせようとされるからです。
「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」(詩篇126:5)