2004年 2月 19日(木)

心の視点

●ある人は聖書を、規則を集めた硬い書物だと考えています。それは、聖書には、「これをしなさい」とか「あれをしてはいけない」ということが多く書いてあるからです。例えば、新約聖書のテサロニケ人への第一の手紙の5章の16から18節に、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」と、命令形で3つの文が並んでいます。気分がいいことがさっぱり無いのに、なぜ喜ばなければならないのか。べつに願い事があるわけでもなにのに、なぜ祈らなければならないのか。良いことが起こったわけでもないのに、なぜ感謝をしなければならないのか。こんな質問をされると、この3つの命令形は、なんとも気分が悪くなりそうな文です。
●ところが先日、ある本で、次のような文章に出会いました。書かれた方は、クリスチャンではありませんが、まるでこの聖書箇所の解説を書いたように思えるくらいぴったりした文章でした。「(私は、)1日1回、どんなことがあってもよろこぶ。そう決心しました。そして、それを手帖に書くことに決めました。・・・その気になってよろこぼうと身構えていますと、よろこびはおのずからやってくる感じがある。よろこびたい心の触手を大きくひろげて待ちかまえていることが大事なんですね。すると、いつの間にか手帖に書ききれないほどいいことがどんどん見つかるようになってきました。・・・努力してよろこんでいるうちに、やがてなんでもうれしい感じになってくる。アホとちがうか、と人に笑われてもいいのです。うれしがりの人生のほうが、周囲にとってもありがたいのですから。」
●私はこれを読んで、この方は聖書のことばのを実践していると思いました。他から要求されて、いやいやながら従うというのではなく、自分から進んで感謝できることを見出そうとした、それが結果的に、自分の人生を明るくし周囲にとってもプラスになると悟っているのです。聖書の「感謝しなさい」とは、まさにこのことを述べているのです。感謝することが無いから感謝しないというのは、自分中心の生き方です。一方どんな小さなことでも感謝できることはないかと視点を変えると、感謝できることは見つかるし、自分の人生は明るくなり、それが周囲の人たちの役に立つことにつながります。確かに「感謝しなさい」という文からは、自分がしたくないことを行なわなければならないと命令されていると受け取ることが出来ますが、逆に積極的に感謝することが自分自身にとって良いことなんだという勧めと受け取ることも出来ます。問題は、神のことばである聖書に対して、自分の心の中にある視点の持ち方によるのですね。