2004年 2月 21日(土)

冬に育つ

■2月。南の地方からは、春の便りが聞かれますが、北海道ではまだまだ雪の中。寒さに敏感な人の中には、冬が無ければどれほどよいかと思っている方がいらっしゃるかもしれません。しかし農家の人にとっては、冬の厳しい寒さによって畑の地中の害虫が殺されるため、その年の豊作の大きな条件になるそうです。木は冬の間、地中深く根を張り、寒さによって出来る年輪によって、折れにくいしっかりした木になります。熊は冬眠することによって、春からの活動に備えます。生き物がいなくなってしまったように感じる冬にも、私たちの見えない所で、次の活動のための力強い準備がなされています。■私たちにとっても、長い人生の中で「冬」と感じる時があります。例えば、思いがけない病気、不慮の事故、事業の失敗、愛する人の死、誤解による人とのトラブルなど、「なぜ、このようなことが・・・・」と愚痴を言いたくなるような事に出会う事があります。しかしこれらの時は、私たちにとっても、次に来る春のための備えなのかもしれません。■三浦綾子さんの『祈りの風景』という本の中に、次のような文章があります。「主よ『冬来たりなば春遠からじ』という言葉があります。辛い寒い冬を耐える人々への、励ましの言葉だと思います。私は七十年生きて、七十回の冬を乗り越えて参りました。北海道では、四季のうち一番長いのは冬なのです。春、夏、秋は、冬にくらべて、ずっと短いのです。主よ、主はもしかしたら、北国の人々にとっては、冬が一番すばらしい季節だとお考えになられて、冬を長くされたのではないでしょうか。十三年もの療養生活をした私には、病気が長い冬でした。でもこの頃は、愛なる主が与えて下さったあの冬は、大きな恵みだと思えるようになりました。主なる神よ、ありがとうございます。」■神を信じて歩んでいたにもかかわらず、自分の家族や財産を失い、しかも自分自身も病気になってしまったヨブは、最も人生の厳しい冬を味わった人のひとりでしょう。しかし彼は、「神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。」(ヨブ23:10)と告白しました。彼は、この試練が、彼の神に対する信仰の中にある不純なものを神が取り除き、光り輝く純金のような信仰を取り出すための神のわざであったと受け取りました。実際に神は、この試練の後に、彼に今までの2倍の祝福をなされました。■神は神を愛し信じる者が、意味なく試練に会うことを許されるお方ではありません。その試練を通して、私たちの人生の歩みに必要な力の源泉が神にあることを確認させ、次の歩みのために必要な備えをなされるのです。あなたの歩みが、他の人の目には、人生の輝きが失われてしまったように見えても、霊の深い所において、これからの神の働きのための力強い備えがなされているのです。