| 2004年 2月 22日(日) |
神の命をもつ人◆マタイ13:24−30、36−43
![]()
【礼拝メッセージの要約】
●神は、人を2つの種類に分けて見られます。「良い麦」のような人と、「毒麦」のような人です。右は毒麦の写真ですが、この麦を食べると腹痛を起こします。実際に、敵対している相手の小麦に被害を与えようとする時は、その畑に毒麦を蒔くようなことをするそうです。それと知らずに、不注意で普通の麦と一緒に刈り入れると大変なことになるのです。
●神は、この世はやがて終わりが来ることになり、「良い麦」のような人は、「天国」へ、「毒麦」のような人は、「地獄」に行かなければならないとおっしゃいます。ではこの違いは、何にあるのでしょうか。それは人の霊の中に、「永遠の命(神の命)」を持っているかどうかによります。「永遠の命(神の命)」は、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れた人に、神が与えてくださるもので、人が自分の努力によって得られるものではありません。
●「永遠の命(神の命)」を持っている人は、次のような状態を表します。第一に、イエス・キリストが大好きです。「天国」とは、イエス・キリストがおられる所ですから、キリストは嫌いだけれど、天国に入りたいということは出来ません。それは、矛盾することだからです。
●また第二に、「永遠の命(神の命)」を持っている人は、イエス・キリストが望む良い行いをします。良い行いは、天国に入るためではありません。天国に入るための条件はただ一つ、イエス・キリストを信じ受け入れて神から「永遠の命(神の命)」を受け取るだけです。ではなぜ良い行いをするのかというと、大好きなキリストが望んでおられることだからです。
●そして第三に、「永遠の命(神の命)」を持っているならば、その人は次第にキリストの品性に似たものと変えられていきます。私たちが日常関心を持っているものに似ていくからです。このように人が、「良い麦」あるいは「毒麦」に譬えられるのは、種である時には、両方とも一見変わりがないように見えますが、その中には命が宿っており、それが時間と共に成長し、次第にその正体が明らかになっていくからです。私たちの人生は、そのようにして自分で結果を刈り取ることにもなるのです。あなたはどちらの麦でありたいと思いますか。それは私たち自身が、今、決めるべきことです。神は、私たちの決心に対して、いつでも「永遠の命(神の命)」を与える用意をされています。