| 2004年 2月 24日(火) |
塩梅
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●教会では、日曜日の礼拝後、一緒に昼食をとります。礼拝が終わるのがちょうどお昼過ぎということもありますが、食事を一緒にしながらおしゃべりをする時間を持ちたいからです。そのために昼食作りを毎週交代で行うのですが、私もその中に加えてもらっています。この前の私の担当の時に、カレーライスを作ることにしました。前の日に手羽もとを圧力釜で煮て、玉ねぎを茶色になるまでいためて、ワインを加えてと、いい香りをかいでいると自分なりにはかなり上出来かなと思いました。さて次の日、礼拝が終わって、カレーのいっぱい入ったなべから皿に盛って「頂きまーす」と食べ始めたのですが、あれ?昨日の味はどこに行ってしまったのかという感じなのです。一人が「おいしい」と言ってくれたのですが、自分ではこんなはずではなかったと納得がいかないまま食べ終わりました。
●「塩梅(あんばい)」という言葉がありますが、塩と酸味とで料理の味加減をとることからきた言葉と言われています。どうやら私のカレーは塩梅が悪かったようです。時々、調理をしながら熱い時に味をみて、いいと思って食べているうちに、だんだん塩味が強く感じられて、途中でお湯で味を薄めたりということがありますから、どうも塩の使い方がうまくなかったのかもしれません。塩味の加減というのは、微妙なもので、多くても少なくても味を損ないます。人間の血中には、約0.9%の塩分が含まれており、人が食べておいしく感じられる時の食べ物の味はこれに近い塩分濃度だそうです。
●パウロは、「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。(新約聖書/コロサイ人への手紙4:6a)」 と語っています。料理の決め手が塩にあるように、味わい深く、食欲が進むような適量の塩が用いられるように、人間関係を進めていく会話にも塩味があることが大切です。塩は、それ自体で塩味を無くしたり、他の味に変わったすることはありません。それは、愛ではないでしょうか。変わることのない愛とするならば、それは好き嫌いによる人間的な愛ではなく、神様が人間を愛して下さっているような愛です。忠告にしても、励ましにしても、聞く人が心の中で納得でき、またほっとするような愛に溢れた言葉をいつも語りたいものです。