2004年 2月 25日(水)

スランプ脱出

●今日、聖書学院の講義が終わって車で帰る途中、カーラジオのスイッチを入れました。すると一般の人からの《私のスランプ脱出法》なるものが紹介されていました。その中のひとつに「脱出できないスランプなんて存在しないと考えて、じっと遠くの雲を見つめる」というのがありました。それを読み上げたラジオのパーソナリティーが、「このことば素敵ですね」といたく感激した様子。私は、声には出しませんでしたが、「聖書には、もっと素敵にまとめられていますよ」思いました。
●パウロは、コリントの信徒への第一の手紙10:13で、次のように書いています。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。[新共同訳]」。
●自分が願っているようにことが進まないのは誰もが体験することですが、一方それを自分のせいにして落ち込んでしまったり、あるいは他人や環境のせいにして愚痴をこぼしてしまうことがあります。そうするならば、一時的に気分が楽になるように思われるのですが、実際には問題が解決していないために、気持ちは晴れません。そのような状態に対してパウロは、別の箇所でこのようにも書いています。 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8:28[新改訳])」。もし私たちが、「脱出できないスランプなんて存在しない」と考えるとしても、生きているのは自分一人の力によるのか、他の存在によって生かされているのかという認識の違いによって、出会う問題の見方や解決法が変わってきます。
●世界を創造された神を信じる人は、まず自分一人の力によって生きているのではなく、神が自分をこの時、この世界に生まれさせ置いてくださったのだということをまず理解します。もしこの基本的な認識に自分の身を置くならば、自分を生まれさせた神が、自分を更に生かすためには、それに必要なもの一切をいつも備えてくださることを認めることが出来ます。たとえ「スランプ」や「試練」と判断されることが起こっても、神が自分をよりよくするために備えて下さったと受け入れることも出来ます。「じっと見つめた遠くの雲」の先には、ただ空があるだけでしょうか。あるいは、雲の先に創造主である神を見、また神の愛と励ましを見るでしょうか。