| 2004年 2月 27日(金) |
リバイブル
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■「リバイブル」?「リバイバル」の間違いじゃないの? 時々、誤字があるからって、そう思わないで下さい。わかっていて「リバイブル」と使っているのです。私たちが、「リバイバル」という用語を使う時には、個人の中で信仰が覚醒され、復興されることであり、またそれによって多くの人々が急激に救いに導かれることを意味します。「リバイブル」とは、それをもじって、生ける神のことばである「バイブル(聖書)」に対する思いが新たになり、自分の信仰を今一度、建て直そうとする新鮮な意識をもとうと励ましの意味を込めて使っています。
■実は、「リバイバル」と「リバイブル」は、どちらも密接な関係があります。信仰の覚醒は、聖霊の働きによって起こされますが、それが強固なものとして根づくためには、みことばに触れる事が必要です。宗教改革が多くの人たちに受け入れられ、定着していったのは、クリスチャンの信仰生活は、神のことばである聖書に基盤を置くという考えにあったのです。私たちの信仰の土台は、伝統による規則や権威ある立場にある人の教えによるのではなく神の権威の現れである聖書に置くべきです。
■宗教改革で、ルターは、ヴォルムス国会の並みいる偉い人々の前で、彼の立場を弁明するように要求された時、「皇帝陛下ならびに諸侯がた・・・・聖書の証によって私の誤りを証明されあるいは明瞭な推論によって、私がそれに訴えた聖書から有罪を宣告され、私の良心が神のことばによってとらえられない限り、私は何事も取り消す事は出来ませんし、またそのようにはいたしません。」と、聖書への信念を語りました。このことは、ルターが大学教授であり偉大な人物であったから出来たという事ではなく、すべてのクリスチャンは、彼のような考えの基盤を持つ必要があるのではないでしょうか。私たちは、信仰書も読みますが、それはいわば著者によって解釈された言葉ですから、何よりもまず聖書そのものから、主が語ってくださる生きた神のみことばを受け取りたいものです。「リバイバル」は、「リバイブル」から生まれます。