2004年 3月 2日(火)

祈りの答え

●あなたは今、神に願い求めている事がありますか。私達は、これまで神になんと多くの事を願って、祈り求めてきたことでしょうか。そして祈りが、自分の願い通りに成就した時は、神の存在を身近に感じますが、そうでない時は、神が自分から遠くに離れてしまったかのように感じたりする時があります。でも神は、求めているのに私たちから離れ去ることはあるのでしょうか。
●イソップの寓話に次のような話があります。
 ある一人の男が、木で造った神の像を持って、市場で売っていました。彼は言いました。「さあ、この像に願うなら、あなたの願いは必ずかなうよ。このありがたいご利益のある神様は、いらないかね。」するとそこを通りかかった人が、「そんなにご利益があるなら、他人に売らないで、自分で願ったらどうだい。」と言いました。するとその男は、「この神様は確かにご利益をお授けになるんだが、与えてくれるまでいつも遅いんだよ。私は今すぐに金が欲しいんだ。」と答えました。
●なるほど、この男の気持ちがわからないわけでもないなと思いませんか。私達の祈りに対する神の答えには、「 はいすぐかなえます」「いいえその通りにはかないません」「もう少し待ちなさい」という答えがある事を知っています。しかし自分が祈った通りにすぐかなえられないと、神は私の祈りを聞いてはくださらなかったと、勝手に思ってしまうことがありませんか。そしてこの男のように、神を信じる事に消極的になってしまうことがないでしょうか。しかしそんな時こそ、神がどのようなお方であり、なぜ私達の祈りを聞かれるのかを、もう一度静まって考えてみてもよさそうです。
●三浦綾子さんの本の中に、次のような文があります。
「2年ほど会わなかった人から手紙が来た。上顎癌の手術に始まって、たてつづけに5回手術した。その5回目は眼球の手術だった。・・・・彼女の手術を手紙に見て、私は思わず、『どうして神は祈りを聞き給わぬのか』と、吐息を洩らした。・・・・しかしよく考えてみると、《神はまどろみ給わない》という聖句のとおり、神は一瞬も人々から目を逸らしているお方ではない。神はちゃんと祈りを聞いておられるのだ。祈る者を見守っておられるのだ。祈りが聞かれぬかと思われるその状態が、実は神がその人をいつくしんでいられる状態なのかも知れない。祈りはいつだって聞かれているのだ。しかし《すべてに時あり》の聖句のとおり、祈りが聞かれるにも時があるのだ。神の御心が計り難くても、神にすべてを委せて待たなければならないのであろう。」
●私達は、神に願い求めるならば確かに聞いて下さるとの思いを持っていますが、逆に神はなぜ私達の願いを聞いて下さるのだろうかと考えたことはあるでしょうか。よく考えると神には、私達の祈りを聞かなければならない義務はないのですね。神が私達の祈りを聞いて下さるのは、神が私達を一方的に愛しておられるからなのですね。神は、私達の思いを越えた偉大な方であり、私達を心からいつくしんでおられるゆえに、私達の祈りにさえも耳を傾けて下さっているのです。私たちの救いのために、ひとり子であるイエス様を与えて下さるほどに私達を愛される方が、どうして私達の求めに答えてくださらないことがあるでしょうか。まったき信頼を持って神の愛と平安の中にいる者は、今祈りの答えを手にしなくても、答えが確実にくるということを知っています。