2004年 4月 16日(金)

ねむい〜

●今日から聖書学院の私の講義が始まりました。話し始めて間もなく、3メートルも離れていない私の目の前で、大胆にあくびをする学生がいました。その姿を見ながら、ああ「春眠暁を覚えず」かと思いながらも、2度も3度もされると、そんなに私の話し方がまずいかなと思い、注意するよりも私の方が落ち込んでしまいます。昨日は、何時に寝たんだい? そうだよ、K君、君に訊いているんだよ。(たぶん彼は、この日記を読んではいないでしょう。)
●春になるとなぜ眠くなるのかについては、冬の厳しい寒さから解放されて、身体の血液の循環が良くなり、脳に回る血液が少なくなるせいであるといわれています。それでは通常でも脳への血の巡りが悪い人は、貧血状態になるのでしょうか? おお、脳!。1日24時間のうち、8時間眠っている人は、人生の3分の1を眠っていることになりますが、そのほかに授業中や職場で居眠りをしている人や、昼寝が趣味ですという人になると、人生の半分以上眠っている事になります。一方眠れなかったり眠りを極端に減らそうとすることは体に良くない事で、動物でも植物でも生きているものにとって、眠りは、次の活動のための新しいエネルギーを蓄えるためには、絶対に必要なものです。
●また聖書の中に次のような言葉もあります。
「眠りを愛してはいけない。さもないと貧しくなる。目を開け。そうすればパンに飽き足りる。」(旧約聖書/箴言20:13)
これは、働かないでだらだら眠ることを好むような生活をしているような人は、やがて食べるにも困るようになるということですが、この言葉は、霊的な意味についても語っているのではないでしょうか。
●私たちは時々、心に触れる新しい事を示されて、「目からうろこが取れたようだ」と表現する事があります。そのような時は、それ以前は、いわば私たちが、霊的に眠っていた状態にあったわけです。私たちの物事に対する基本的な考え方やこれこそ正しいと信じ込んでいた事柄が揺さぶられる時に、自分の眠りの状態から解放される機会がやって来ます。
●眠りの中にあるというのは、自分の思いや行動について再点検する事なしに、現状をそのまま維持していこうとする心の状態です。私たちは、いつも自分の状態を点検する事が必要です。身体が生長すれば、更に大きな服に替えなければならないように、霊の成長においても、新しい衣服となる新しい考え方、新しい行動が必要です。信仰において、礼拝において、祈りにおいて、奉仕において、またみことばの学びにおいて、以前とは異なる姿が見られるでしょうか。もし私たちが、聖霊による目覚めによって新たな一歩を踏み出すならば、キリストは以前よりも身近なお方として私たちに近づいてくださり、更に生き生きとしたいのちを注いでくださいます。