| 2004年 4月 17日(土) |
自己責任
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●イラク武装グループに人質にとられていた日本人3人が無事解放されて、多くの人々がほっとしている一方、当初家族の方が政府を非難したように見えた言動や、やっと解放された人がまだイラクに留まって活動を続けたいと発言したこと等をきっかけに、現在「自己責任」意識の問題が、様々な立場の人たちによって語られています。その意見を聞いてみると、そうかそのような視点もあるのかと新しい見解に感心します。どのような意見を持つにしても、それに対立する見解も一方には必ずあります。そのような意味でも、自分が置かれている立場を認識しながら自分の言動に対して「自己責任」を明確にしておく必要はあるようです。この日記にしても、読まれている方の中には、当然私と対立する見解を持たれている方もおられることは知っています。ですから賛成でも反対でも、もしご意見がおありでしたら、左上の[MAIL]からお送りください。
●また今回、少し前とは異なり、マスメディアの速さにも世の変化を感じました。ある人の言動が即報道されると、それに対して即反応し、電話・メール・ファックス等が送られてくるという環境にあるということです。それが励ましであっても批判であっても、大きな影響を与えることにある種の怖さも覚えます。発言内容に対する反応は当然ですが、表情や立ち振る舞いにも、見る人の反応が異なります。だからといって、対人関係を必要以上に恐れてはなりませんが、これもまた「自己責任」の範囲に入ることなのでしょうか。
●私の体験ですが、かなり以前地方新聞に五段ぬきほどの三面トップ記事に、私のことがある美談として採り上げられたことがありました。私としては当然の行いだったのですが、書かれた記事の内容を読んでいくと、確かに記者の取材は受けたのですが、そこには自分はこのようには言っていないよと思われる文が書かれていました。さて困ったと思いましたが、現実としてはすでに出来上がった新聞があるのです。赤面の至りで、その日から人と会うのもいやでした。しかし幸いなことに、その記事に関しては、他の人から賛美も非難も来なかったのでほっとしました。ところがその後、何年も後になってその記事を覚えていた友人が、私を他の人に紹介する時に「彼はね、以前新聞に載った美談があってね・・・」と、うろ覚えの記事内容に今度は彼のオーバーな想像も加わえて紹介しました。私は、完全に赤面してしまいました。しかもそれで終ればよかったのですが、また別の機会にもその話題を出されたのです。私は、もう遠い過去のことでしたから、「いや〜あれは、実際はそうじゃなくて・・・」と説明するわけにもいかないまま、現在はただ私の中に心の傷として残っています。
●自分の過去を特殊な消しゴムで消してしまいたいと思うような体験は、他にも沢山あります。今回の危険な地域に行く時は自分で覚悟して行く「自己責任」だけでなく、自分の生き方そのものが、自分のものとして残されていくという「自己責任」についてもこの機会に考えてみたいものです。
「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(新約聖書/ガラテヤ人への手紙6:7 )