| 2004年 4月 18日(日) |
復活のいのち/1★復活のいのちとは何か
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【礼拝メッセージの要約】
●先週は、『復活祭』でした。約2000年前にキリストに起こったことは、彼を信じ受け入れる人にも起こります。「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。(ローマ6:8)」と聖書が語るとおりです。信仰によって「キリストとともに死んだ」ことによって罪が赦され、「キリストとともに生きる」ことによって、霊が復活したのです。そしてやがてキリストの空中再臨である「携挙」に会う時に、体も復活して救いが完成します。
●では、キリストを信じることによって与えられる「復活のいのち」とは何でしょうか。私たちは、「生命」と「いのち」を同じような意味で使うことがありますが、実は異なります。例えば「生命」については、”生命保険”とか”生命維持装置”などの用語で使いますが、”命保険”とか”命維持装置”とは言いません。それは「生命」とは、生命あるものを生長させたり、それが宿っている体を活動させる源になるものです。つまり植物を生長させ、動物を活動させているものが「生命」です。一方「いのち」とは、それよりももっと広く大きな概念であって、他のものに制限を受けることなく、また永遠に存在するものです。では「いのち」の概念となる他に制限を受けずに永遠に存在するものとは何でしょうか。それは「神」以外にはありません。
●キリストは、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)」と言われました。キリストは神であり、彼の中には変わらない「いのち」があります。ですからキリストを信じる者には、体の「生命」が終っても、霊に与えられた「いのち」によって生ることができ、また復活した体によって永遠に生きるのです。人は、自分の意志とはかかわりなく、体を維持する力である「生命」を両親を通して与えられました。しかし人が、神の「いのち」を得たいと思うならば、その願いをキリストに意志表示し、信仰をもって受け取らなければなりません。
●キリストを救い主として信じた人には、すでにこの「いのち」が与えられています。これは人間のいのちが変化したものではなく、「永遠のいのち」あるいは「キリストのいのち」といわれるもので、全く新しい「神のいのち」です。それは、猫の生命が猫の性質を形づくっていて犬の性質にはならないように、「キリストのいのち」は、その人の中にキリストの性質を作り出します。パウロが、「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。(ガラテヤ人への手紙2:20)」と告白しているように、クリスチャンが望むのは、自分の中にある「キリストのいのち」によって「キリストの性質(品性)」が形作られることです。
●星野富弘さんが作られた次のような詩があります。
「新しい命一式、ありがとうございます/大切に使わせて頂いておりますが/大切なあまり仕舞いこんでしまうこともあり/申し訳なく思っております/いつもあなたが、見ていて下さるのですし/使いこめばよい味も出て来ることでしょうから/安心して思い切り/使って行きたいと思っております。」
私たちは、「キリストのいのち」を、大切に仕舞いこんでおかないで、もっと使っていきましょう。キリストは、「わたし(キリスト)が来たのは、羊(クリスチャン)がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネ10:10)」と語っています。キリストを信じ受け入れた人には、すでに「キリストのいのち」が与えられているのですから、それを生活の中で豊かに用いていきましょう。来週は、「キリストのいのち」が、実際にどのように表わされていくのかを考えてみましょう。