2004年 4月 21日(水)

蜂と花

●先日、日記に書いた駐車場に芽を出していたチューリップも、プランタに移しかえられて、玄関の風除室の中で元気に育っています。玄関を通る度に、「よかったね、花を咲かせてよ」と声をかけてあげています。以前にTV番組で、植物も優しく扱うと電気信号を流すとかいう番組を見たことがありますが、それが事実かどうかは分りませんが、駐車中の瓦礫の石の間から出ていた生命ですから、やっぱりよく頑張ったねという思いを持つからです。やがてきれいな花を咲かせることでしょう。
●最近、ホームセンター等に行くと、パンジーやクロッカス等の鉢植えの花が売られています。札幌にも花の季節がやってきました。そして蝶や蜂が、その花を求めて飛び回ることでしょう。ある本を読んでいましたら、私達の信仰も蜂の信仰と花の信仰があると書いてありました。つまり蜂は、花から花へと蜜を求めて飛び回りますが、花はその場を動かずに、ただ蜂が来るのを待っています。つまりクリスチャンにとっても、「動の時間」と「静の時間」、「能動的な時間」と「受動的な時間」とのバランスをもった信仰生活が大切だというのです。
●これは、マルタの態度とマリヤの態度ということもできるでしょうか。マルタは、イエス様を接待して喜ばれようと忙しく立ち働いていました。一方マリヤは、客として来られたイエス様のそばで話を聞いていました。私も時々、一日の中でマリヤの態度をどれだけ持っているかを反省させられます。例えば、聖書を読んで祈りをする「ディボーション」の時を持っていながらも、その内容について自分の思いを確かめてみると、「今日の分は、ここまで聖書を読まなければならない」とか「あのことは、祈っておかなくっちゃ」などと、体は動きを止めているのですが、思いの中ではイエス様の語りかけを聴こうとはしないで、マルタのように自分のすべきことを考えて忙しく動き回っているのです。イエス様の声を聞くために、他は何もしないでマリヤのように静まるこのことが、私にとって必要であり、今すべきことです。