| 2004年 4月 25日(日) |
復活のいのち/2★復活のいのちを意識する
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【礼拝メッセージの要約】
●キリスト教と他の教えの違いは何でしょうか。死の恐れの克服、病気の癒し、経済的必要の満たし、家庭生活の安定等、私たちが日常生活の中で必要としている事柄の問題解決のためには、キリスト教でも他の教えによっても解決が得られます。しかし聖書が、「クシュ人(エチオピヤ人)がその皮膚を、ひょうがその斑点を、変えることができようか。もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、善を行なうことができるだろう。(エレミヤ13:23)」と語るように、人間は生まれつき本質的に悪に染まっていく傾向を持っているとしたら、人の努力だけではそこから立ち直ることは難しいでしょう。特に自分で止めたいと思っていながらつい続けている悪しき習慣に浸っているような場合には、その解決は出来るでしょうか。
●神様は、全知ですから最初の人間であるアダムが、神様の意に背いて罪の性質を自分の中に取り込むことになることも事前にご存知でした。そのために、人間が罪に囚われた生活から脱出できる道も用意されていました。イエス・キリストが十字架に架かり、復活されたのは、そのような私たち人間が、罪の性質から解放されるためでした。聖書は、次のように語っています。
「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ6:4 )
●私たちが、以前と異なった新しい歩みをするためには、新しく生まれ変わることが必要であり、キリストを救い主と信じ受け入れた人が新しく生まれ変わったことの証拠として、神様は人の霊の中に「神の霊(いのち)」を入れてくださいました。しかし重要なことは、私たちは誰もが「人の霊」を持っていますが、その中に与えられた「神の霊(いのち)」といかに関係を持つかということです。聖書は、「一心同体」である結婚における夫婦の関係になぞらえて、「主(神様)と交われば、一つ霊となるのです。(1コリ6:17)」と語っています。これを逆の表現をするならば、「人が主(神様)と交わらなければ、人の霊と神の霊との二つの霊が対立したままである」ということになります。
●結婚は、「一心同体」であると理解していても、二人の人である夫婦が互いに理解し合って一人の人のようになるには、歳月が必要になります。ある保険会社が「夫婦円満の秘訣」というアンケートをとりましたが、それによると第一が相手への《思いやり》で、第二が夫婦間での《会話》の大切さを指摘しています。このことは、私たちと神様との関係でも同じです。《思いやり》というのは、私たちがいつも神様に対して関心を持つことであり、また神様を愛しているということを告白することです。神様を疑ったりいつも不平を言っているならば、その関係は疎遠になるでしょう。また《会話》とは、会話の祈りであり、特に神様が語ることを聞き取るように努めます。それを聞き取ったならば、録音したりノートにメモするとよいでしょう。そのようにしていくうちに、熟年夫婦が夫婦として一つの人格を形成しているように見られるように、人の霊と神様の霊は、一つ霊となっていくのです。そのような人の中には、神様の性質が次第に形づくられていきます。
●神様の性質の中に含まれているものは、「いつまでも残る・・・信仰と希望と愛です。(1コリ13:13)」です。《信仰》は、私たちが努力して思い込もうとする力ではなく、神様が与えてくださる力です。《希望》は、曖昧なものではなく信仰に支えられた望みです。また《愛》は、神様の性質の総合的な意味での表現です。これらのものは、すでにイエス・キリストの復活のいのちの中に含まれているものです。ですから信じた者が、すでに得ているキリストの復活のいのちを、日常生活の中で意識するならば、神様との交わりは更に深まっていくのです。