2004年 4月 28日(水)

主に知られる

●以前、ある老人ホームでの生活を紹介したテレビ番組を見ました。その中で一人の老婦人が「私は毎日早くお迎えに来て欲しいとそれだけ考えています」と語っていました。“お迎え”というのは、人が迎えに来るのではなく死ぬという意味です。その婦人が早く死にたいという理由は、「私は、誰かの役に立つようなことは何もできないのです。だから生きている意味がないのです・・・・」というのです。インタビューをしていたアナウンサーも、それ以上何も言えませんでした。多くの人は長生きしたいと願いますが、自分の存在価値を見出せないその老婦人にとっては、せっかく与えられている健康でさえ呪わしいものになっているのでしょう。自分には生きる価値がないと考える人には、私たちはどのような助言ができるでしょうか。
●この老婦人に限らず、多くの人は自分の生きる価値を常に求めています。谷沢永一氏は、『人間通』という著書で、「人間は最終的にとことん何を欲しているか。それは世に理解されることであり、世に認められることである」と述べています。「世」とは、世間の多くの人々ということを意味しなくても、誰か一人の人にでも自分は理解され、認められていると知ることによって、人は生きがいを見出すことが出来ます。その中でも他の人よりも特別に優れた能力がある人は、その活動によって、存在価値を認められやすいでしょう。しかしこの老婦人のように、自信を持って人の前にあらわす力がない人は、どうしたらいいのでしょう。
●旧約聖書に出てくるエレミヤという人は、世界を創造された神様に次のように語られました。「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知っている(エレミヤ1:5)」 。実は、神様からのこの語りかけは、エレミヤだけでなく、この世に生まれてきた全ての人に与えられているのです。私たちは、たとえ「世」に知られていないとしても、神様はすでに遥か以前から、私たちを知り、認めて下さっています。私たちがこの世に誕生しているという事実が、自分は神様によって知られているという証拠です。もし私たちが自分を認めてくれる人を見出せないとしても、神様は私たちをすでに知っておられます。ですから静まって神様に、「自分のすべきことは何ですか」と問いかけてみてください。それは祈りですが、そうするならば、心の深い所に、「思う」という形で神様は語ってくださいます。