| 2004年 4月 30日(金) |
悩みと信仰
![]()
●「他の人から『君は悩みが無さそうで幸せだね。』ってよく言われるんだけれど、俺はそんなに悩みが無さそうに見えるかな?」と言う人いました。自分に悩みがあることは、悩みですが、人から悩みが無い人ねと言われる事もまた悩みだなんて、なんとも人の思いは複雑なものです。また他の人には、そんなことは悩みに値しないと見える事であっても、本人にとっては重大で、時には眠られぬ夜を過ごさなければならない事もあります。また悩んでいる人に対して励まそうと言葉をかけても、「あなたには、私の気持ちが理解出来ない!」とかえって怒りの反応を呼び起こす事もあります。犬や猫には、悩みがあるかどうか分りませんが、人が生きている限り、悩みは尽きないようです。
●J.R.ミラーは、問題を抱えている人に対して次のように言ってます。「心配するのは、何の益にもなりません。・・・・悩めば、物事は改善されるでしょうか。自分の劣等感は、それを改善するでしょうか。・・・・いらだちは、辛い仕事と重荷を少しでも軽くするでしょうか。心配すれば冬が過ぎ去り、また、嵐が止むでしょうか。・・・・・・」
●そんなことを言われても、問題があるから悩むんだよと反発したくもなりますが、冷静に考えるとたしかに私たちが悩む事が、問題の解決になるのではありませんし、苦悩の大きさが、すみやかな解決をもたらすのでもありません。自力で問題解決ができるならば、それは最善でしょう。しかしそれが出来なければ、他の力に頼るしかないでしょう。そのどちらも選ばずに、ただ悩み続けるならば、それは愚かです。ミラーは、さらに続けます。「・・・・哲学者たちでさえ、心配性には何の効果もなく、それはかえってその人から力と最善をしようとする気持ちを奪ってしまうので、全く無益だと言明しています。しかし信仰の世界は、それについてもっと深く解明します。信仰者は、次の事を知っています。私たちがもし、困難や障害に出会っても、私たちが正しい心の態度で対処するならば、それらはむしろ祝福となり、私たちを上昇させるところの踏み台となり、訓練と経験を積み上げ、かえって私たちを成長させます。・・・・・・」
●もし自力で問題解決が出来ないなら、素直に他の力により頼みましょう。イエス・キリストは、創造主である神の愛を伝えるために、働かれました。彼は、全ての人に、創造主という他の力により頼むことを勧めています。彼が十字架に架かって死なれたのは、そのためです。そして彼が復活することによって問題解決のための道を開かれました。キリストは次のように言われます。
「確かに、あなたがたはこの世にあっては悩みがあります。しかし勇気を出しなさい。わたしはすでにこの世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33b/現代訳)
キリストを通して神が私たちの問題を解決してくださるという信仰を持つ時、神は私たちを強め、与えられた知恵と力によって問題を解決できるか、あるいは神ご自身が解決してくださるのです。