2004年 4月 5日(月)

神の矛盾?

●昔、中国の街頭で「この矛は、どんな硬い盾でも突き通すことが出来る。そしてこちらの盾は、どんな鋭い矛でも、防ぐことが出来る。さあ、買わんか!」と怒鳴っている物売りがいました。そこで見物人は、「じゃあ、その矛でその盾を突いたらどうなる?」と言うと、物売りは困ってしまいました。彼が言ったことは、道理に合わなかったからです。このようにして『矛盾』ということばが出来たと言われています。
●聖書が語る万物を創られた神様には、一見「矛盾」と見える姿があります。神様は、どのような小さいと思われる罪に対して見逃すことがなく、正しく裁きをするお方です。しかし一方、赦されそうもないほどの大きな罪を犯した人であっても、悔い改めるならばその罪を全て赦されるお方でもあります。これは、「矛盾」なのではないでしょうか。確かに私たちであったら、その問題を解決する方法を持っていませんから、矛盾を抱えたままでしょう。しかし神様は、解決する方法を持っておられます。
●昨日も書きましたが、全ての人は、生まれつき創造主である神様を認めないで、自分は自分のやり方で生きるという考えを持っています。子供が、自分の父親や母親を認めずに、「私は、あなたがたを親とは認めない。自分は自分で生きるから勝手にさせてくれ」と言ったら、親はどんなに悲しい思いをすることでしょうか。神様は、このようにして、多くの人々から、無視されまた拒否されてきました。それは、最初の人間であるアダムが持った性質の結果ではありましたが、人間はそのままの思いを持ち続けていくならば、神様が用意された「天国」に入ることは出来ず、「地獄」に行かなければなりません。「天国」がどのように素晴らしい所か、様々な表現をすることが出来ますが、はっきりしていることは、そこには神様がおられるということです。神様は、全ての人を「天国」に迎えたいと願っていますが、神様を拒否する人を無理に「天国」に入れることは出来ません。それが、人間が生まれつきの考えを持ち続けるならば、「地獄」行かなければならない理由です。
●しかし親は、自分を拒否する子供が、いかに親から離れて行こうとも、やがて帰ってくるだろうという願いを持って待ち続けるように、神様も人間が神様のもとに立ち返ることを願って待ち続けています。ただ神様は、人が神様のもとに帰ってきた時に受け入れるためには、まず人が神様を拒否してきたという事実に対する裁きをしなければなりません。そのためになんと神様は、その罰を人間に要求されずに、ご自分の独り子イエス様を、十字架に架けて殺すことによって、その裁きがいかに重大なことであったのかを示されました。しかしそれは、神ご自身の命に等しい最も愛する独り子を犠牲にするということによって、全ての人に完全な愛を示された姿でもあるのです。つまりイエス様を十字架に架けて殺すことを通して、人間に対して正しい裁きをされたと同時に、完全な愛を与えたのです。これによって、神様の矛盾は、成就したのです。
●今週は、キリスト教会では「受難週」を迎えます。約2000年前のこの週の金曜日に、イエス様は十字架に架かって死なれ、墓に葬られた後3日目に、復活したことを覚えて過ごす週です。神様は、私達が神様に敵対していたと気が付いて、立ち返る以前から、すでに帰る道を用意されて迎え入れるようにしてくださったのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(新約聖書/ヨハネ3:16)