2004年 5月 1日(土)

如己愛人(にょこあいじん)

●自ら長崎で原爆を受けながら、被爆者の救護にあたリ、その後も著作等を通して原爆禁止を訴え続けた長崎大学の永井隆博士は、1951年(昭和26年)の今日43歳で天に召されました。
●クリスチャンであった長井博士については、その名前は聞いていましたが、正直なところ昨年妻と九州旅行をするまでは、よく知りませんでした。博士は、32歳で長崎医科大学物理療法科助教授になりましたが、37歳の6月に、それまで放射線の仕事に携わっていた影響もあり白血病となりました。そして8月9日に、長崎市に投下された原爆によって被爆しました。彼は重傷を負いましたが、それでも3日間不眠不休で被爆者の救護にあたりました。そして少し状況が落ち着いた時に、被爆の焼け野原の中、自分の家があったと思われる場所に戻ると、黒焦げの死体の塊が残されていたそうです。その塊にロザリオが付いていたので、それが自分の妻緑夫人であると分ったそうです。そしてまだ熱が残っている愛する妻である塊を、バケツの中にそっと入れたとのこと。愛する家族の安否を問うよりも先に、周囲にいた被爆者たちの救援を続けたという彼の精神は、彼が好んで用いた「如己愛人(にょこあいじん)」ということばに表現されています。
●このことばは、聖書の『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。(マタイ22:39 )』の文語『己の如く汝の隣り人を愛せよ』を表現したものです。博士は、その後、白血病が悪化して長崎医科大学退職され、近所の人々の好意によって建てられた2畳ぐらいの小さな小屋に「如己堂(にょこどう)」という名前をつけて、病床にふしながら2人の子どもと共に生活をし、著作活動を通じて「祈りの長崎」の象徴的存在となりました。私は、まさに自分が信じることば通りに生きた長井隆博士の生涯に感動を覚えました。