| 2004年 5月 18日(火) |
聖書的でない教会
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●私は、今、CFNJ聖書学院で講義を担当させていただいていますが、今学期は旧約聖書に出てくる「モーセの幕屋」からそれが意味していることを学んでいます。今日は、「聖所」を形作っている板が意味するものについてでした。その一部を紹介致します。
●神様を礼拝するために必要な調度品は、「聖所」という部屋に置かれます。その部屋は、入り口を除いて三方に金をかぶせたアカシヤという木の板を隙間なく立てて作ります。中東のアカシヤという木は、幹が必ずしもまっすぐではなく、枝が曲がっていたり、板にするとあちらこちらに節が出て、必ずしも建築材料としては、使いやすい材料ではありません。それは、神様の前にあって、人間の性質を表わしているようです。
●イエスは、人を神様の前に招こうとして次のように言われました。
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコ2:17)
クリスチャンというのは、自分はまるでアカシヤ材のような不完全な者であることを認めた人が、救いを求めて神様の前に出て受け入れられた者達です。ですから教会は、そのような不完全な人々、つまりイエスがいう心の「病人」また神様に対して「罪人」である者によって構成されています。ですから教会にも人間関係から生まれる問題は起こるのです。そして注意をしていなければ、次のような問題が起こることがあります。
●例えば、次のような教会は、聖書では教えていない型の教会です。
その1 教会は人の集まりですが、神様に信頼するよりも人間同士の楽しさだけを求める「サロン型」。
その2 教会の集会に集っていても、心の中で傷つけたり傷つけれることを恐れて人間関係から
離れている「唯我独尊型」。
その3 聖所を作っている板と板は、環の中を横木が通るようにして立てられます。しかし皆で行なうことに
加わろうとしない「無関(環)心型」。
その4 自分は他の人よりも、霊的に幅や高さを持っていると考えて、心の中で高ぶっている「超霊的型」。
●これらのことが教会の人間関係にある時には、メンバーも居心地の悪い教会になります。イエスが弟子達を愛したような愛を持って、謙遜に互いに仕え合う人間関係を作りたいものです。