2004年 5月 2日(日)

復活のいのち/3★神のいのちの体験

【礼拝メッセージの要約】

●昨日、教会員の方々が知っているTさんと久しぶりにお会いしました。そしていろいろなことを話しましたが、彼は「ところで牧師(私のこと)は、なぜ公務員を辞めて牧師になろうとしたのですか?」と訊きました。私は、「う〜ん、神様が語ったのですよ・・・」と答えると、クリスチャンでない彼は、怪訝そうな顔をしました。そして「神様が語るって?」と訊くので、「そう、私自身は牧師になりたいとは思っていなかったのだけれど、神様が私の心の中にそのように語りかけてね。それで、表現はおかしいけれど半ばしぶしぶって感じでね・・・」と言いました。そして「でも他人が強制したわけではないよ。自分の心に起こった思いに従わざるをえないという感じでね。でもそれに従った時には、心の中に平安がやってきましたよ。一歩進んでみると、それは必ずしもいやなことではなく、むしろ楽しいと言えるかな・・・」と付加えると、Tさんは「それならば、なんとなく分りそうな気がする・・・・」と、少し納得したような顔をしました。
●キリストの復活のいのちを受けた人はクリスチャンですが、そのいのちを受けた人は、誰でも神様の語りかけを聞くことが出来ます。それは、イエス・キリストを信じ受け入れた「人の霊」の中に「永遠(神)のいのち」である「神の霊」が入るからです。次の聖書のことばによると、「永遠(神)のいのち」とは、神ご自身でもあります。
・イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたち(父なる神・子なる神)はその人のところに来て、その人とともに住みます。(ヨハネ14:23)
・私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。(ガラテ2:20)
・あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。(1コリ3:16)
●クリスチャンになると、心が清くなるとか、変えられるということであるならば、少しは理解出来そうですが、信じる人の中に、神が来られて住むということは、驚くべきことです。しかしこれは聖書が語る真理です。別の箇所には、「主と交われば、一つ霊となるのです。(1コリ6:17 )」とあります。これは、クリスチャンの「人の霊」に入ってこられた神そのものである「神の霊」と、交わりを通して一体化することが求められています。ですからもし私たちが何かをするために、神の力だけを求めるような祈りをするならば、それは交わりではありません。また神があたかも自分のしもべであるかのように、「神よ、働いてください」という祈りも、交わりとはいえないでしょう。そうではなく、「神の霊」である神ご自身は、人の主人となるために、信じる者の霊の中に入られました。ですから神の意思を伺って、それに従うように行動することが、神と人との良い関係です。そのためには、是非とも神のみ声を聞き取る必要があります。神のみ声は、多くの場合、人の思いの中に示されます。ですから職場で仕事をしながら、家事をしながら、散歩しながら、食事をしながら、いつでもどんな時でも神の語りかけを聞こうとする思いを持つことが大切です。そうするならば、神は私たちに語りかけ、必要な時には、私たちのことばや行いを通して、神のご自身の働きをなそうとするでしょう。そのような体験を重ねることによって、「人の霊」と「神の霊」は一つとなり、やがて人の中にキリストのご性質を形作っていくようになるでしょう。