| 2004年 5月 20日(木) |
おかしな電話
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●昨日の夕方、スーパーで買い物をしてレジでお金を払っていると、携帯電話が鳴りました。あわててとると、教会からの転送電話です。それで「はい、シオン教会です。」と出ると、ちょっと年をめした(?)感じの男性が、「小学校の前で印刷物が配られたのですが・・・」というので、「はい?? どのようなことか、もう一度お願いします。」と言うと、また同じように「小学生の子どもが、学校前で配られた印刷物をもらってきて・・・」と言うので、「その印刷物に住所が、書いてありませんか?」と訊くと、本州のある県の町を言いました。「うちではそのような印刷物を配ってはいませんが、その団体に問い合わせてみてはどうですか」と言うと、今度は「私もクリスチャンですが、小学生にですよ、このような印刷物を配ることをどう思いますか!」と少し怒ったような調子で言うのです。なにか面倒なことになりそうな気配がしたので、「私どもが配ったものではありませんし、内容も見ていませんのでコメントはできかねます。その印刷物は、私どもと関係がないものなので、(電話を)切りますよ」と言うと、「もう、日曜日には教会に行きません!」と言いました。勿論その方は、うちの教会員ではありません。その男性は、自分はクリスチャンであると言いましたが、もしそうであったなら、なぜ自分の教会の牧師に相談をしなかったのだろう、そしてなんで私に「もう教会に行きません」と言ったのだろうか、何がなにやら分らないまま、私は気分がすっきりしないまま買い物袋を提げて車に乗りました。おかしな?電話・・・・
●この例に限らず、一般には、宗教に対する警戒心はあるようです。かといって宗教を拒否するのではなく、初詣や七五三、合格祈願は神道で行い、結婚はキリスト教で行い、クリスマスを祝い、葬儀は仏教で行なうという、複数の信仰の中を生きるのが平和的であって、特定の信仰を勧めることは危険であるというのです。しかも最近はその傾向が強くなったように思います。よく聞く宗教に関する見解に、「信仰は、大人になってから持つべきもので、子どものうちは自由にすべきである」というのです。先ほどの電話の男性も、そのことを言いたかったのではないでしょうか。ところが電話をしたくても、その印刷物には電話番号が書いてなかったようで、お前の所は教会だし同じことを考えているのだろうと想像して、その思いのはけ口を向けたのだと思います。外部の人にはどのように映っているのか分りませんが、キリスト教というグループの中にいるからといって、同じ考えを持っているわけではなく、また同じことをしようとしているわけでもありません。ところがある人は、そのようには考えないようです。「ブッシュ大統領は、熱心なクリスチャンだというのに、なぜ戦争をするのか?」とか「アメリカは、キリスト教国なのに、なぜイラクの一般市民を殺すのか?」という質問を投げかけてくることがあります。さらに「イスラムもキリスト教も一神教で相手を赦すことをしないので戦争が起こる。ところが日本は多神教だから、日本人は平和主義者なんだ」などと言いだすのです。えっ? それ本当? 私は、クリスチャンですが、私はブッシュ大統領やアメリカ、そして戦争をしているイスラムやキリスト教を支持したり、まして弁護説明をする気持ちはありません。そのようなちょっとずれていると思われることを言われる時には、「では、日本は何教の国ですか? その宗教は、殺人や戦争についてどのように教えていますか? そして日本は、外国と戦争をしたことがありませんでしたか?」と、心の中で思うのです。