2004年 5月 22日(土)

イエスの約束を得る

●私たちは、自分の必要を神に祈り求めます。しかし期待して祈ったにもかかわらず、すぐには何の変化も見られない時、神は私の願いをなぜきいてくださらないのかと思い悩む事があります。そんな時、私たちはどのように考えたらよいのでしょうか。
●今週の木曜日は、イエス・キリストが昇天されたことを記念する日でした。また来週の日曜日は、その後弟子たちの上に約束の聖霊が下られたことを記念する聖霊降臨日(ペンテコステ)です。イエスが昇天するまでは、弟子たちは彼を自分の目で見ることができましたが、この木曜日から日曜日までの間、弟子達が見ている前で天に上げられたイエスは、以前見たようにはそこにはおられませんでした。それまでは、イエスは弟子たちのすぐ傍にいて、語り励まし、奇蹟のわざを行ってくださっていました。しかし昇天後は、イエスは彼らの目の前にはおられませんでしたから、弟子達は不安を感じたのでしょうか。私たちが祈り求め、それが応えられるのを待つ期間も、その時の状況に似ています。
●イエスが地上におられたある時、ガリラヤ湖で嵐の中の小舟にいた弟子たちは、一緒にその船にイエスが乗っておられたのにもかかわらず、慌てふためいていました。そして彼が嵐を静められるのを見て驚きました。彼らの信仰がまだ幼かったからです。またその後、五千人の給食という奇蹟を体験した弟子たちでしたが、イエスが同乗していない船の中で、向かい風に悩んでいました。しかしこの時も、イエスご自身の方から近づいて下さり、風を静められるのを見ました。弟子たちは、イエスを彼らが見ることができないとしても、彼ご自身の方から近づいて助けて下さる事を、知った事でしょう。このようにイエスは、弟子たちが見て、触れる事によって信ずるのではなく、その語られた言葉を信じて彼を信頼する事を弟子たちに教えられました。
●イエスの昇天から聖霊の降臨まで、弟子たちの中にあったのは、彼らの目の前で、イエスが自分達の目の前から去っていかれたという現実でした。もし最初の弟子たちの信仰状態であったなら、彼らは不安でたまらなかったでしょうし、ある者は失望していたでしょう。しかしその時彼らを支えていたのは、「わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。・・もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。( 使徒1:4-5)」 というイエスの約束の言葉でした。しかも「もう間もなく」という言葉には、何日後というはっきりとした期間が定められてはいませんでしたが、彼らは、「みな心を合わせ、祈りに専念して(使徒1:14)」いました。嵐の小舟の中にいた彼らの状態と比べるならば、なんと大きな信仰の成長を見た事でしょう。そしてそれから10日ほどしてペンテコステの日には、力を与えられる聖霊の圧倒的な注ぎが、彼らの上にあったのです。
●イエス・キリストは今日、弟子たちに対すると同様に私たちに対しても、各自の信仰の成長段階に応じて、神の約束の成就を表して下さいます。私たちは今、イエスを目で見ることが出来ないとしても、彼は私たちから遠く離れてはおられません。むしろ私たちは今、イエス・キリストの中に生きているのです。ですから私たちにとってふさわしい時が来た時に、その求めている問題を解決して下さいます。ただ私たちのすべき事は、イエスは私たちを愛していつも心を配っておられる事を認め、イエスの約束の言葉は必ず実行されることを信じ受け入れることです。そうするならば、時が来て、圧倒的な祝福を体験する事になるのです。聖書が、信じる者に約束している神からの言葉は、2万とも3万とも言われています。
  「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(新約聖書/ヘブル人への手紙10:36)