2004年 5月 26日(水)

子どもは霊的にも幼いか?


●先日、子どもにキリスト教の印刷物が配られたということで、クリスチャンだという男性から私のところに抗議(?)の電話が入った事を書きました。勿論、その印刷物は、私でもまたうちの教会で配ったものでもないことを伝えたのですが、それでも電話の主はえらく興奮していました。もしクリスマス会や子供会の案内であったら、たぶん怒りはしなかったのかもしれません。キリスト教の教理的なことが書かれた文書であったために、子どもには未だ早いということで怒ったのだと思います。文書を配ったことが良かったか悪かったかの見解は、ここでは論じませんが、あの電話があってから、キリスト教の教理を子どもに伝えることは無理なのだろうかと考えてしまいました。これは教会学校のあり方にも関係します。例えば無理だという考えであるならば、教会学校で子どもには教理を教えても難しいので、とにかく楽しい遊びをさせて、やがてその子が大人になった時に、教会学校時代を思い出して礼拝に集うようにさせればよいという考えが成立します。しかし神を信じるというような霊的な事柄の理解については、大人よりも子どもの方が難しいのでしょうか?
●子どもは、大人と比べるならば、抽象的な事柄についてはあまり理解出来ませんし、長い話をするならば飽きます。また時には気ままで、我がままなところもあります。ところが、子どもの能力が大人よりも劣っていると考えられるのは、知的な量については(つまり大人が子どもよりも長く生きてきたという点では)そのように言えるかもしれません。つまりそれは大人が子どもよりも知的なものを頭の中に入れる時間が少なかったということであって、霊的な点に関しては必ずしもそうは言えないようです。
●アンジーという一人の女性がいます。彼女は、少女時代のある体験によって心に傷を持っていました。彼女はそのために、結婚をしてからもその傷によって、自分がつまらない人間だと思い込み、自殺を試み、いわゆる臨死体験をしました。彼女は、自分が死に至らなかった理由を、次のように告白しています。「息子のアレックスは、日曜学校の女の先生に祈ることを教わりました。その4歳の息子の信仰のおかげで、我が家はほかの多くの家庭がたどった崩壊の道をたどらずにすんだのです。」 つまり幼い子どもの祈りが、彼女を生き返らせたのです。
●彼女に息子が生まれた時、一家はアメリカにいましたが、その後沖縄に移り住むことになりました。そのアメリカにいた当時、彼女の過去の心の傷が彼女を情緒不安定にし、家庭をいつも暗いものにしていました。幼かった息子は、教会学校で教わった祈りをしている時に、将来家族がここではない遠く離れた所に移り住むこと、また多くの人たちと一緒に賛美歌を歌う環境に置かれるようになること、またそれによって彼の家庭は明るくなり幸せになるという幻を主から受け取っていました。
●それからしばらくして父親の転勤で沖縄に住むようになり、母親の自殺未遂の事件後、家族は教会に出席するようになり、それによって家庭に平和が訪れました。そのことを4歳の子が「アメリカにいた時、幻を見たんだ。人がいっぱいいて、歌ってるのも見たよ。」と語りました。
●旧約聖書に、後に偉大な預言者になったサムエルのことが記録されています。それによると、サムエルは3,4歳の頃、祭司であったエリのところに預けられました。しばらく経ったある夜、祭司エリが聞こえなかった神の声を、少年サムエルは聞きました。またイエスの少年時代、宮で聖書を教える教師たちを相手に周囲の人々が驚くような質問をしたり答えをしました。それは幼い時に母マリヤによって聖書のことばが教えられ、また祈ることの教育の結果でした。
●確かに知識の習得には、年齢が関係するかもしれません。しかし霊の成長には、年齢は関係が無い様です。私たちは、子どもの霊的な可能性について、もっと大切にしたいと思います。
「神様は幼子たちに、神様を真心からほめたたえよとお教えになりました。
  その子供たちの姿に、敵が恥じ入って、口をつぐみますように。」
                    (旧約聖書/ 詩篇8:2 リビングバイブル)