2004年 5月 3日(月)

パッション

●観ました。観てきました。そうイエス・キリストが十字架に架かるまでの24時間の様子を描いた映画『パッション』です。ローマ兵による暴行、鞭打ち、そして十字架刑という衝撃を与える壮絶な画面が次々と目の前に展開しました。私は、中学生の頃に画集で見たグリューネヴァルトが描いたキリストの磔刑図を思い出しました。その頃に見たキリストの十字架刑の多くの絵は、これが残酷な刑罰であるにもかかわらず、十字架上のキリストの肌は美しいほど青白く、しかも苦しみを忘れて眠るような姿で描かれているものがほとんどでした。しかしこのグリューネヴァルトのイーゼンハイムの祭壇画は、鞭打ちでキリストの皮膚が破られ、美しい肌ではなく数多くの傷が描かれてたキリストの姿を見てショックを受けたことを覚えています。
●しかし今回の映画を観た時、彼の絵であっても美しく描きすぎていたのだということを感じました。十字架上のキリストの姿も表わしていると思われる旧約聖書イザヤ書53章の次の言葉は、確かに預言通りだったと思われます。
「彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」(イザヤ書53:2−3 )
ある人は、この映画ではキリストの鞭打ちと磔(はりつけ)を、異常なほど残酷に描いていると言うでしょう。しかしキリストの遺体を包んだ布とされている(実際には、真偽ははっきりしていませんが)「聖骸布」に残された傷跡の様子からは、この映画がオーバーな表現をしているのではなく、実際に近い状態だったのではないかと私には思われました。
●私はこの映画を観ながら、途中何度か涙しました。それは、キリストがかわいそうだという同情ではなく、私自身のために十字架に架かられたということをもう一度深く思わされたからです。十字架の前で、キリストに向かってパリサイ人が「自分でそこから降りてこれるなら、お前をメシヤと信じてやってもいい」と言ったことばは、キリストを救い主と信じない多くの人々の思いを表わしていることばでしょう。キリストは、信じてやる方ではなく、彼を信じなければ、私たちは自分の救いを失うのです。この映画、お勧めです。