2004年 5月 6日(木)

主と親しく交わる

●昨日、長い間たまっていた資料の整理をしました。その中に1冊の古ぼけたノートがありました。それはかなり前の私のディボーション・ノートでした。ページを開いてみると、その日読んだ聖書箇所と、その時示されたみことばから感じたことなどが短く書かれており、また祈りの内容もメモしてありました。 この日記をご覧になっている方には、日々の祈りやディボーションを、きちんと日課とされている方は、多いことでしょう。これらの働きは、ある意味でとても地味なもので、行なっているからといって、誰かに知られるわけではありません。むしろ私たちの生活の隠れている部分といえるでしょう。それはちょうど、ヨットに乗って大海原の荒波を乗り切っていくようなもので、ヨットの喫水線の下、つまり錘にあたる部分の生活です。キリストにある隠れた生活の錘が重ければ、私たちの人生のヨットは安定し、嵐が来ても乗り切ることが出来るのです。
●アンドリュー・マレーは、クリスチャンにとって、毎日みことばを読み、黙想し、祈ること、つまりディボーション自体が私たちのすべき目的なのではなく、「その目的とは、一日中キリストの臨在を確保することなのです」と語っています。私たちが日毎にキリストの臨在を感じ、キリストにある力を得るためには、みことばに触れ、また主との親しい交わりである祈りがそれを得させてくれるのです。主はこの生活について
「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6:6)
と語っておられます。キリストの臨在感は、自分の行なっていることを他の人が認めてくれることによって得られるのではなく、主との個人的で隠された生活の中にこそあります。その錘を大きくして、私の生活をもっと安定させたいと思います。