2004年 6月 18日(金)

         牛乳配達人

●昨日までの旅行中の時間つぶしにと、1冊の文庫本を持っていった。それも出掛けに、バッグの残り少ないスペースにやっと押し込んだ古本屋で1冊100円也という代物だ。ところが、飛行機の中、列車の中と小刻みに読んでいたが、意外と多くの良い話が詰まっていた。その中の1つ。
●西洋のことわざ。「牛乳を飲む人よりも、これを配達する人のほうが健康になる。」
これから先は、私が考えたことであるが、少し前までは、牛乳瓶の入った箱を自転車の荷台にくくりつけて、朝早くから配っている配達人を見かけたものだ。しかしコンビニに行けば、紙パック入りの牛乳を買える時代になって、びんに入った牛乳を配達する光景は、最近はほとんど見なくなった。早朝のすがすがしい空気の中を、重いものを持って、足早に走っている牛乳配達は、確かに健康人でなければ出来ない仕事だ。またこのような仕事だから、健康になるともいえる。これは、牧師の仕事にもいえる。
●日曜日の礼拝のメッセージ(説教)の時に、私は時々信徒さんに次のように言う。「聖書のことばを皆さんに語りながら、自分で『そうだ』と思うんですよ。だから、逆に私が語る聖書のことばによって、自分自身が励ましを受けるんです」と。これは、正直な感想だ。1週間、様々な問題が重なって、気持ちが滅入ってしまうことがある。しかしそれでも牧師は、メッセージ(説教)を準備して、語らなければならない。これまで問題に押しつぶされそうになって、日曜日の礼拝で「今日は、話すことはありません」と言ってみようかと何度か思ったことがある。でも実行はしなかった。どういうわけか分らないが、準備不足の話であっても、話し終わった時には、自分が不思議と元気になっているのである。それは、聖書を通して神様のことばを語ったからである。まさに私は、牛乳を配っていながら健康を得ている配達人のようだ。他人のためにと思って行なうことが、結局自分の所に返ってきているのである。聖書では、これを次のようにいう。

「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。」(新約聖書/ルカの福音書6:38)