| 2004年 6月 5日(土) |
日常性の中で
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●昨晩私は、沢山溜まった古新聞をテーブルの上に広げて、必要な記事の切り抜きをしていました。するとそばに置いてあったカッターナイフを見て、妻が「なんとなく怖いね」と言いました。私も使い慣れているカッターナイフでしたが、ざわっとした感じがして「うん・・・」と言ったきり、それ以上は言いませんでした。勿論二人がイメージしていたのは、ここ何日かのニュースとなっている小学生の殺人事件です。ごく普通の友達であったと思われる二人の関係に、これまたごく日常的に使われていた道具が使われて、突然思いもかけない事になったということは、大きなショックです。
●小学生が殺意を持つ発端となったといわれているパソコンについては、私は「PC」とか「チャット」とか書かれても、まずその意味はなんだっけと思う程度しか使えませんが、小学生で自分のホームページを作っている子もいますから、パソコンもすでに日常的な道具となっているのですね。しかし便利なものの中に含まれる危険性も確かにあるわけで、今回の事件を機会に「チャット」をする時のルールまで教える必要があると言われていますから、先生も大変です。「今まで力をいれてやってきた徳育は、何であったのか・・・」と力なく語る校長先生の疲れた顔が痛々しいものでした。
●今回の事件のことで、子どもの前からカッターナイフやパソコンを取り上げても意味がないことは誰でも知っています。では仮に「他人を殺すことはなぜいけないのか?」と道徳の時間を設けたとしても、果たして先生はどれだけのことを語ることが出来るでしょうか。そして子ども達の心に、どのように届くでしょうか。誤解しないでください。それは先生が力不足だから語れないという意味ではありません。一人の人を傷つけることは犯罪になるが、戦争のように多くの人を殺傷することは犯罪にはならないとする現在の人間が抱えている矛盾に対して、誰も正しく答えることが出来ないという背景があるという意味からです。しかしそれでも人の心の深いところでは、「殺人は罪である!」という叫びは確かにあるのです。