2005年 1月 26日(水)

無益な論争は・・・

●今日は、CFNJ聖書学院の講義の日でした。学生の一人が「あるグループの人は、キリストは十字架に架けられたのではなく、杭にかけられたと言いますが、どちらが正しいのですか?」と質問してきました。このことに関しては、ギリシャ語の意味からこうだとか、歴史的に見てああだとか、そのグループの資料の引用が間違っているなどと、これまでもなされてきた論争です。それによって一方が他の主張を受け入れて、論争が終わったわけではありません。そこで私は言いました。「・・・このように論争がなされているけれど、私には事実は分かりません。しかし十字架ではなく、杭であると主張することによって、イエス・キリストが十字架に架かったことによってそこで何がなされたのか、またイエスの死が自分にとってどのような関係があるのかということを受け入れさせないようにする論争こそ、避けられるべきだと思う。・・・」
●時々、聖書やキリスト教に関して、質問を受けたり、あるいは気が付いたら論争になっていたということはありませんか。パウロは言います。
「堂々巡りの議論にふけったり、あやしげな神学論争に巻き込まれたりしてはいけません。 ユダヤ人のおきてを守ることについての議論や論争も避けなさい。 そんなものは、何の益にもならず、むしろ害をまき散らします。」(テトスへの手紙3:9 LIB)