| 2005年 1月 4日(火) |
酉年って?
■まだ年賀状を受けたり、出したりしている時に、これから書くことは気が退けるのですが、話題とするには今がふさわしいと思います。今年の賀状のデザインの多くは、「酉(鳥)」の図柄だったことでしょう。そして年頭の挨拶も、「今年は、酉年なので、大空に羽ばたくように・・・・」と希望を述べたり、「私は、今年の年男(年女)で・・・」などと会話されています。この「酉年」は、「えと(干支)」の言い方であることは知られていますが、ではこの「干支」とは何でしょうか? 「干支」を説明するには、ちょっと複雑な内容が含まれています。
■昔中国で、十日を単位とした日の呼び方に「甲、乙、丙、丁、戊・・・・」という文字を用いて順序をあらわしていましたが、これを「十干(じっかん)」といいます。ここで大切なことは、「十干」は順序をあらわす言い方であるということです。昔の通信簿では、「甲、乙、丙、・・・」が使われていましたが、これは順序を表していたのです。
■また「十二支(じゅうにし)」も、中国で1月から12月までに付けられた呼び名です。例えば1月を表す文字は「子(し)」ですが、これは新年に神に捧げる供物を置く台の形からできた形です。2月は、「丑(ちゅう)」で、葉を乾燥させた形です。そのようにして10月が「酉(ゆう)」で、神に捧げる酒を入れた壷の形です。ですから「子、丑、・・・酉・・・」には、中国の季節に合わせた行事を意味する文字ができたのです。
■そして複雑になるのですが、今度はインドとの関係です。古代インドでは、地球から見た太陽の通り道である黄道に12の宮殿があり、太陽がそれらの宮殿を訪れると考え、その宮殿を守る動物を12匹定めました。「ネズミ、ウシ、トラ、ウサギ・・・」の順です。その考えが中国を経て日本に入って来ると、それを中国の「十二支」と重ね合わせ、1月の「子(し)」を、ネズミの「ね」と言い換え、同様に2月の「丑(ちゅう)」を「うし」と言うようになりました。そして10月の「酉(ゆう)」が「とり」と言い換えられました。つまり中国の季節の様子を現す文字が、今度は関係のない動物の名「子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)・・・・」に言い換えられたのです。
■そして更に複雑になるのですが、「十干(じっかん)」と「十二支(じゅうにし)」を合わせたので、「十干十二支」になるのですが、それを短くして「干支」としました。これを「かんし」と読むとここで、説明は終わりになるのですが、ところがこれに、天地万物が「木・火・土・金・水」から成り立っていてそれらが人間の生き方に影響を与えると考える「五行説」が加わって、「十干」の呼び方を、「五行説」に合わせた呼び方に変えました。つまり5つのものを、10の呼び方に変えるわけですから、「五行説」の1つ1つに、2つの呼び方が必要とされ、それを「兄(え)」と「弟(と)」に分けたのです。ですから例えば、「木」を兄と弟に分けて、「木の兄(きのえ)」と「木の弟(きのと)」とし、「火」も「火の兄(ひのえ)」と「火の弟(ひのと)」としてこれを「十干」の文字の呼び方に当てはめたので、本来「甲(こう)」であったものが「甲(きのえ)」、「乙(おつ)」が、「乙(きのと)」という呼び方になりました。同様に「丙(へい)」は「丙(ひのえ)」「丁(てい)」は「ひのと」と呼ぶようになりました。そこで「干支(かんし)」そのものを兄と弟の関係から「えと(干支)」と呼ぶようになったのです。
■さてこれらの説明でお分かりになったかどうか分かりませんが、つまり私が言いたいのは、今年が「酉年」だから1年中、鳥の影響があるとか、いわゆる「干支(えと)」によって、人の性格や生き方が影響されるものではないということです。以前に、ある人が私に「あなたは、なに年?」と訊きました。私は、干支で言うのがいやだったので、「どうして?」と逆に訊くと、その人は、「あなたは、細々と仕事をするのでネズミ年かと思って・・・」と言いました。勿論、私は干支でいう「子年」ではありません。昨年12月9日の『血液型性格判断?』のところでも書きましたが、私たちは、血液型や干支の動物に当てはめて、自分の性格や可能性を、4つあるいは12に分けて、小さく狭めることはやめませんか。全世界を創造された神は、動物も何万何億と種類を変えて造られたのです。人間だって同じです。自分は、他の人と違う自分なんだという個性の中で生きることを神は望んでおられるのです。2005年が、酉(鳥)がどのように私たちの生活に影響を与えるのかを考えると、何の根拠もありません。神は、信頼する人に対しては、その可能性をどのようにでも変えてくださるお方です。