| 2005年 1月 6日(木) |
第一にすべきもの
●中越地震で被災された方々の生活が少しずつ復興され始めた時に、今度は世界的なスマトラ沖地震による津波によって、また多くの人々が悲しく辛い生活に追いやられています。このようなニュースを見ると、私たちが今手にしている平凡に見える生活が、実は素晴らしいものであることを知ります。それと同時に、私たちは自分が本当に大切なものを求めているのかを考えさせられます。
●脚本家の倉本聰さんは、若い人たちを対象に役者を養成する富良野塾を開いていますが、現在のことは確認していませんが、それを始めた頃、彼らが住んでいる場所には水道がなく、湧水で生活に必要な水を確保していたそうです。ところが開拓以来数十年涸れたことがなかった湧水が、ある日ばったり出なくなったそうです。同時に近くの家々の井戸水も涸れてしまいました。それを知って彼らは困りましたが、むしろ倉本さんが愕然としたのは、塾生の若者達が、人が生きていくための水が手に入らないということがどれほど重大なことであるかを考えもしなかったことだったそうです。
●現在の生活は、多くの豊かなもので溢れていますが、私たちが生きるという根本的な視点から物事を考えることが少なくなりました。私たちの日常の生活の中では、水道の蛇口をひねるならば水が出ることをあたり前のように生活にしていますし、水道水は塩素の臭いがするので、飲料水はコンビニに行けば買えると思い、水がない生活が、死を意味するとは、なかなか思いつきません。
●「水と石油とどちらが大切か?」と問われるならば、確かにどちらも大切なものですが、人間が生きていくという視点から考えるならば、水の方がはるかに重要であることが分かります。しかし私たちは、見せかけの楽しみと豊かさの中に生きているため、何が根本的なものであるかを見失うかもしれません。
●イエス様が、荒野で悪魔の誘惑に会って「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と答えられた時、イエス様は私たち人間が生きていく時に求めるべき優先順位を示しました。つまり「パンだけで」というのは、私たちが生きるためには、肉体を養うパンは必要なものですが、霊的存在である人間が第一とすべきものは 神を信頼して生きていくことです。
●新しい年の信仰生活の土台造りのために、私たちの心の中にあって願い求めているものが、第一にすべきものであるか、第二以降に渡すべきものかを点検してみましょう。イエス様は「神様を第一とし、神様が望まれる通りの生活をしなさい。そうすれば、必要なものはすべて、神様が与えてくださいます。( マタイ6:33/LB)」と語られました。私たちにとって「必要なもの」とは、パンや水ばかりでなく、学校・仕事・結婚も含むでしょう。しかしこれらは第二のことです。もし神を第一としないならば、私たちは確実に死に向かうことになるでしょう。