2005年 11月 8日(火)

イエスとキリスト

●今日は、ドイツの新約学者G・ボルンカムが1905年に生まれた日です。彼の著書『ナザレのイエス』の中にとても重要なことばがあります。
「信仰にとってきわめて重要視される必要があるのは、信仰が告白する<イエス・キリスト>という名は、1つの単語、ただの符号にすぎないようなものではなく、信仰はキリストとして告白するあのナザレのイエスと現実に出会わなければならないということである。信仰にとって大切なのは、イエスとキリスト、この両者が同一人物であることの確認である。もしそうでなければ、信仰は神話的人物に熱中することになる。」

●この短い文を、彼が書いている通りだと読んだ方と、「信仰にとって大切なのは、イエスとキリスト、この両者が同一人物であることの確認である。」とは、一体何を意味しているのだろうかと思って読んだ方がおられるかもしれません。「イエス・キリスト」を、山田太郎のように姓と名であると考えると、ここに書かれたことは理解できません。「イエス」は、確かに個人に与えられた名ですが、「キリスト」は、人類を救う働きをされる方といういわば役職名です。ですからキリスト信じる信仰を持つということは、約2000年前に歴史上に実在した「イエス」という方が、あなたのあらゆる問題を解決し、救ってくださる「キリスト」であると信じることでなければ意味がありません。もし「イエス」は、立派な教えをし、時には奇蹟を行った聖書の中に出てくる神話上の一人の不思議な人物であると思う、つまり作り話上の人物であると考えるならば、あなたを具体的に救うことができません。それは、「信仰」とは異なるものです。「信仰」とは、自分の生き方を、「イエス・キリスト」を中心に考えるものです。